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杉並区立桃井第二小学校

環状八号線を南下してJR中央線のガードを潜ると善福寺川を渡るが、その角にピカピカの小学校がある。最近耐震の為もありそっくり建て替えられたのだ。付帯工事として外構歩道も整備され、学校の象徴である「白旗桜」も植樹されたグリーンベルトが見事で、付近の景観を一新した。その正門に写真の校歌の石碑が立っている。仮名の崩しが読めないかも知れないので、

下記URLでご確認頂きたい。

http://www.suginami-school.ed.jp/momo2shou/gaiyou/kouka/kouka.htm

 

与謝野晶子は環八を挟んで反対側に震災後大正14年から住んで昭和17年この地で亡くなった。

(現在は与謝野公園となっている 南荻窪4-3-22)

ご近所さんだったので作詞に応じたのだろうが、開校が昭和3年で校歌が出来たのが昭和11年だから少し遅れている。直筆の歌詞と手紙が区の有形文化財に指定され、今も保管されている。

作曲は山本直忠で直純の父、何故山本氏に依頼したのか不明、ご存じの方はご一報頂きたい。

 

歌詞には自然豊かなさまが謳われてるが、いまや周りには武蔵野の風情は無い、ただ善福寺川は水量は減ったとは言え今もまずきれいな水が維持されている。

 

桃井第二だから第一は何処かというと、青梅街道の北、プリンス自動車工場跡の原っぱ広場のそばにある。そもそも桃井という名前は何処から来ているかというと、桃園川を発端としているらしい。

 

桃園川は千川上水を関町辺りで分流し、青梅街道を沿いに東に引き込み、荻窪駅のやや西で北に進路を変え、天沼八幡神社の弁天池の湧き水を合わせ東進し河北総合病院の裏を通り、中央線のガードを潜り、高円寺というお寺の南側を通り東進し、あとはほぼ大久保通り沿いに進み、東中野神田川末広橋あたりで合流する。

 

今は全て暗渠になっているが所々緑道として整備されており、されてない所も含め今もほぼトレース出来る。桃園川の語源は上記高円寺という寺の辺りは昔桃の産地であったので、そこを通る川を桃園川と呼ぶようになったらしい。

 

この川は中野宝仙寺のそばを通っているが、その境内に昔寺小屋があり明治になってそこが小学校に昇格した時、その名を桃園小学校としたとのことである。

さらに杉並も人口が増えたので、現在の第一の場所に桃園小学校遅野井分校を設置し、さらに昇格時のネーミングを桃と井を取り桃井小学校とした。即ちあの辺りは遅野井と呼ばれていて

、現在の桃井という地名は小学校の名前を拝借して戦後つけられたものだ。

 

桃井第二小学校の校歌は昭和11年に作られている。2.26事件の年で世情不安であった。

余談だが、ここよりほど近く古刹光明院の裏に当時の陸軍教育総監 渡邊錠太郎が住んでおり早朝幼い娘の前で斬殺された。娘の名は和子といい、のちにノートルダム清心女子学園の理事長を務めマザー・テレサの案内役を務めた程の人格者になった。

 

尚、桃井小学校は今も1から5迄あるが、創始の中野の桃園小学校は統合で姿を消し既に無い。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    矢野芳輝 (土曜日, 26 12月 2020 10:55)

    素晴らしい風土記ですね。
    こうして自身が住む土地の故事来歴を探り訪ね歩くことは、その土地に根を張って生きることに他ならないように感じます。
    楽しみに拝読させて頂きます。
    もっともっと書き続けて下さいさいね。