①では国と国の間の差別の危険性について考えてみたが、実は国民一人一人の間にも同じような差別があり、それが偏ったナショナリズム産む根源になっている事が分かる。
世の中には様様な差別が存在する。
学歴、貧富、皮膚の色、家柄、出身地、性格、美醜、結婚の有無、子供の有無,新住民、転校生・・・・などなど普通の人も知らず知らずのうちに他人を枠に入れて分類している
要するに他人を分類してラベル分けしてしまうのだ。
副総理は華麗なる家系で学習院卒、さらに富裕である。そんな人ほど分類癖が強く、隠しているが他人を見下している。多かれ少なかれ一般人も差別しているのだから、非難するのは当たらないが社会のトップに立つ人は意識してこの分類癖を取り払うべく努力しないと、社会を分断し、摩擦を生み住みにくい社会となっていく事を知るべきであろう。
このラベル分けは実は単なる思い込みに過ぎないのだ。学校は行かなくても幸之助さんや宗一郎さんみたいな立派な人はいるし、東大を出ても汚職にまみれた人は多くいる、貧富の差に至っては富者の方が悪人が多いかもしれない、・・・要するに偏見で自己を高める手段として勝手に差別しているのが実態ではないだろうか。
差別感を捨てて、人類皆兄弟のコスモポリタンの立場から、改めて自己の行為をも直してみよう。自己に執着し過ぎると見えなくなる。
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