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オリムピック立候補

東京2020は終わったが、時計を10年前に戻して、東京立候補の決定過程に我が国の看過できない危うさを垣間見たので、考えてみよう。

 

東日本大震災は2011・3に起こった。それから3か月後に石原慎太郎東京都知事が立候補を表明した。

その時の世論は諸手を挙げて全員が賛成ではなかったと思う。少なくとも私の周りは反対意見が多かった。

その理由は①時期の問題(酷暑)②財政問題(最近は赤字続きで立候補が少ない)であった。

 

しかし世論を問うことなくどんどん事が進み実施に至ったその決定経緯を追ってみよう。

副知事は石原が指名した猪瀬氏で石原発案に反対できず、議会も自民圧倒多数で内田氏が束ねて盤石、都側には何の障壁もなかった。

 

一方政府は当時民主党の菅首相であったが、真意のほどは不明だが、大震災修復で追われており、傷心の国民感情払拭の起死回生策として「復興オリムピック」の大義にOKを出してしまったのではないか。熟慮する事無く。

 又自民党の首脳は莫大な財政出で地盤である土建業界に金が流れるので問題なく賛成したと思われる。

 

要するに日本の組織は民間会社であろうと、政治組織であろうと、役人組織であろうと、そこには「猿山のボス」がおり、周りは機嫌を損なわないように忖度しているだけで、民主的な議論が尽くされない。そんなことをすると人事権を握っているボスに干されるだけだから、反対意見は言えない。

 

本件も石原と自民のボスという極めて限られた密室で決められていると思う。世論を問うことなしにこれが可能な社会と言う事が今にも尚残された問題である。

 

たかがオリムピックだからまあ許されるかもしれないが、先の戦争に進んだのもきっと世論と関係のないところで決めることが出来た為、開戦に至ったと思う。

 

政治は国民とは無縁のところで運営されるもの、本当の民主主義とはどうして構築できるのだろうか。

 

最後にマスコミの責任にも触れておこう。石原発案の段階で、世論調査をして反対意見が少なからず公表されれば、政治家は時期選挙もあるので強行で来たかどうか疑問である。

 

最近新聞社は経営不振と聞く、その為か社会的公器の役割が劣化していると思う。

これからの日本はますます密室政治になるのではないか。森・加計問題はじめ黒を白と言いくるめる事さえ平然と可能な社会、こんな日本の危機を改めて知らされた。