11日 6月 2023
最初の写真は「綱坂」。慶応義塾大学の西門に面した長い坂である。 登り口のハンガリー大使館から坂上までの左側は土塀に囲まれた綱町三井倶楽部で、中には入れないが鹿鳴館設計で有名なコンドルによる洋館と和、洋庭園がある。...
31日 5月 2023
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29日 5月 2023
東大正門の対岸は旧森川町と言い、かつて文人や学者が多く住み、また下宿も多かった。 この辺りは東大があるので米軍は爆弾を落とさなかったと言われており、その為戦前の建物が所々残っている(写真中段2枚)。 戦災を免れたという事は区画整理も出来なかったと言う事であり、今日尚、道幅も狭く曲がりくねった道が多く異空間になってゐる。...
29日 5月 2023
江戸時代「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言って3丁目交差点角に現在もある「かねやす」という建物までは瓦葺、漆喰作りが原則でそれから先は藁ぶき可だったので、江戸市中の境目に位置する落ち着いた街だったと思われる。それが明治に入り急に注目を集め発展したのは、明治10年に加賀前田藩邸に東大が設立された時からである。...
26日 5月 2023
啄木は17,19歳の時上京しているが、それは滞在であって居を構えた訳ではない。 本格的に東京での単身作家活動を始めたのは明治41年23歳の時である。それは金田一京介の斡旋で本郷の「赤心館」に身を寄せたことより始まる。...
13日 5月 2023
樋口一葉は明治26.7菊坂から下谷竜泉寺町に引っ越して商売を始めたが失敗して、 翌27.5に本郷丸山町の鰻や「守喜」の離れに移転した。小さな池もあり家賃3円と安くは無かったが、ここが気に入り後に奇跡の14カ月と呼ばれる名作を続々と書きあげた。...
03日 5月 2023
一葉はこの露地で18~21歳を過ごした。明治23年から26年、東京がまだ文明開化の恩恵を一般家庭まで及ぼしておらず、家庭には電灯も水道もガスも引かれていない時代である。 現在この井戸はポンプ式になっているが、当時は車井戸であった。 一葉は針仕事をしながら一家を支え、この井戸で洗濯をし、ふろ水もバケツで13杯運んだ。...
雑感 · 11日 8月 2021
集団の中で力を得たボスが正しい決断をする為には、出来るだけ多くの情報を集め分析し、決断し実行し、その責任を取る事だが、多くのボスは自己の偏った信念や自己愛(権力愛)に執着し、その実現のために蛮勇を振るう。...
雑感 · 10日 8月 2021
東京2020は終わったが、時計を10年前に戻して、東京立候補の決定過程に我が国の看過できない危うさを垣間見たので、考えてみよう。 東日本大震災は2011・3に起こった。それから3か月後に石原慎太郎東京都知事が立候補を表明した。 その時の世論は諸手を挙げて全員が賛成ではなかったと思う。少なくとも私の周りは反対意見が多かった。...
散歩ときどき樹木 · 25日 4月 2021
渋谷川とは: 山手線の内側を流れる川と言えばまず「神田川」だが、「渋谷川」も繁華街を流れる数少ない水系で、都心の治水安全上重要な役割を果たしている。国土交通省河川局指定の2級河川である。...

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