<はじめに>

年間100本を目指しています。

2006年から2013年の実績は7勝1敗、今年(2014年)は結局82本 止まり

(4月までの21本は前h/p(http://www.geocities.jp/teki_cyu)に掲載中)


2連敗です。


そろそろ、体力、気力が衰えてきたのかも?

さて、来年は?

 

(泣ける映画は駄作でも点数が甘くなってます)

  

荻虫の100映画2014年版 (2014.4~)

☆5.0

☆4.5

1962「地上最大の作戦」米

1965「飢餓海峡」日

1984「ストリート・オブ・ファイヤー」米

1985「mylife ・・」swe.下記No.6

2011「ニーチェの馬」hng下記No.4

2011「花嫁と角砂糖」イラン 

2013「そして父になる」日

2013「とらわれて夏」米  下記No.15

1961「婚期」日 

 ☆4.0                                                        

1958「炎上」日

1959「薄桜記」日

1965「グレート・レース」米

1964「マーニー」米

1989「いまを生きる」米

1990「ブラッディ・ガン」米

1992「伴奏者」仏

1995「マイ・フレンド・フォー・エバー」米

2000「あの頃ペニー・レインと」米

2005「理想の恋人」米

2007「自虐の詩」日

2009「マイレージ・マイライフ」米

2009「予言者」仏

2009「人生万歳」米

2009「プレシャス」米

2010「ヒアアフター」米

2010「我が大草原の母」中

2011「別離」イラン No.14

2011「天国からのエール」日

2012「おおかみこどもの雨と雪」日

2012「あなたへ」日

2012「マダムインNY」No.13

2013「船を編む」日     下記No.3

2013「それでも夜は明ける」米下記No.1

2013「飛べ!ダコタ」日

2013「ブルージャスミン」米 下記No.2

2013「アナと雪の女王」米  下記No.5

2013「マルタのことづけ」墨 下記No.11

2013「悪童日記」ハンガリー 下記No.12

2013「さよなら渓谷」日

2013「小さいおうち」日 下記No.10

2013「永遠のゼロ」日 *下記No.7 

2014「G・ブタペスト・H」英・独 下記No.8
2014「柘榴坂の仇討」日 下記No.9


 

☆3.5

1965「キャット・バルー」米

1975「軍用列車」米

1979「ハノーバー・ストリート」米

1980「ロングライダーズ」米

1986「キャバレー」日

1983「ふるさと」日

1998「お墓がない」日

2008「桜の園」日

2010「借りぐらしのアリエッティー」日

2011「秘剣ウルミ・VDG・・」印

2012「アンナ・カレーニナ」英

2012「希望の国」日

2012「夏の終り」日

2013「凶悪」日

2013「清州会議」日

2013「地獄でなぜ悪い」日

2014「ノア 約束の舟」米

 

☆3.0

 

 

 

 

 
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 *勝手なランク付け*

No.15 とらわれて夏

2013/111分 米 1225dvd

ジェイソン・ライトマン 監督 ジョイス・メインード 原作

ケイト・ウインスレット(アデル)、ジョシュ・ブローリン(フランク)、ガトリン・グリフス(ヘンリー)

 

映像で語りかけるというより、脚本力の秀逸さが光る作品。

逃亡劇だからハラハラドキドキするのは当然としても、フランクは逃亡犯だから捕まえられると言う前提上、アデルの愛は突然終わるだろうという予測が持続する切なさ(実際は5日間の愛)が全編を覆って悲しい。さらに、恋やセックスや夫婦を思春期のヘンリーの視点から描かれる新鮮さが良く、ややもするとお荷物的に処理される離婚夫婦の子供養育問題に真正面から切り込んで心地よい。

結末はボニー&クライドかな(銃弾で蜂の巣)と予測していたが、それも外してくれて見事なエンディング。これで涙しない人は少ないだろう。

「泣ける映画」として少し甘いが☆4.5。

 

No.14 別離

2011/123分 イラン

アスガー・ファルハディー 監督

レイラ・ハタミ(妻シミン)、ペイマン・モアディ(夫ナデル)、

サレー・バヤト(家政婦ラジュー)


「彼女が消えた浜辺」の監督である。

本作も謎めいていて、故意に目隠しされた作りになっているので、部分的に理解できない部分が残った。

例えば、ファースト・シーンに次ぐ重要なカットだが、見終わってから分かるがストーリーとは何の関わりもない話なのだ。こんなカットを何故入れたのだろう? 上階の住人が頼んだ家具を職人二人が階段を担ぎ上げている。2階ということだが、実はこのアパートの表示はグランド・フロアーから数え始まり、2階は実質3階なのだ。職人は3階までの代金は貰ってないから割増をくれないと運べないと階段を塞いだまま。シミンは上にいけないから代金を代わりに払って、その場を切り抜ける。イランは契約社会だから、些細なことでも権利を主張し衝突すると言いたい為なのか、不明のままだ。

さらに、ラジューの幼い娘が数多く登場するが、この役割も謎めいているがよくは分からない。

極め付きは、離婚後、娘は親の何方に付いていくかを観客に考えさせるエンディングだろう。


まあ難解な点はいくつかあったが、全体としてかなり良質な作品だと思う。

まず、演技が皆自然で上手いこと、介護という社会問題を突き付けていること、嘘をつくということの罪意識が信仰の強弱によって大きく違うということ、女性の地位向上問題、離婚に対する11歳の子供の感情の揺れ・・・・。それらが丁寧に描かれて素晴らしい。


さらに言えば、イランという国がその長い歴史から学んだ「争い」に対する対処の仕方の合理性ともいうべき、訴訟方式だろう。区役所の窓口みたいなところに大勢が押し掛け、裁判官(調停人かも)の前で、お互いに嘘を交えた自己主張をやんやと始め、それを何度となく繰り返す。弁護人などいない。衝突が多いからジャッジメント能力に長けた人が育っているのかもしれない。わかりやすく言えば喧嘩の仲裁所みたいなところだ。日本人には程遠い感覚、びっくりさせられた。

イラン映画は昔から質が高い。

おすすめの1本である。

No.13 マダム・イン・ニューヨーク

2012/134分 印


ガウリ・シンデー 監督

シュリデヴィ(シャシ)、アディルークセン、メーディ・ネブー

ヤ・アーナンド


ボリウッド映画だから、歌と踊りが挿入される。

まともなテーマにも必要なのかと思うが、採算を考えると迎合路線を選ぶのだろう。

大衆路線でありながら、それなりのレベルを維持しているのが最近のボリウッド映画で、しかも国際的に配信され、支持されているのは大いに邦画界も見習うべきだろう。

あらすじ: 

インドの上流社会では英語が喋れるのが普通で、ヒンディー語しか喋れないのは馬鹿にされるらしい。シャシは料理が上手で、家族思い一点張りの専業主婦だが、英語が駄目。娘や夫にも馬鹿にされている。そこへNYに住む姉の娘の結婚式出席の依頼が来る。皆より早く発ち、準備を手伝わなくて行けないから、単身渡米。言葉が分からないのでカフェでも電車でも困り果てて泣きべそ。そこへ4週間で英語マスター学校の看板を見つけ、入学、多民族の学生との交流を通して、専業主婦という狭い世界に閉じこもっていた自分を次々と自己改革して目覚めていくという、痛快な筋書。


ハリウッド映画なら多分、愛を打ち明けられたフランス人のシェフと駆け落ちする筋書が予想されるが、そこが大衆迎合路線のボリウッド、お手伝い並みの妻という古臭い地位に戻るという道徳的エンディング。もっとも駆け落ちしても愛は長続きする保証はないから、結論としては間違ってはいないとは思うが・・・。

このかなり自己犠牲的と言おうか、ストイックな女性の感じが、この主演女優に実にぴったりはまっている。

このシュリデヴィという人は51歳らしいが相当な美人で、しかも優しさと知性を兼ね備えた素敵な女優さんだ。演技的には悩みを抱えた影のある表情が秀逸で、作品に深みを与えている。


英語の苦手な日本人におおいに共感を与える作品でもある。


No.12 悪童日記

2013/111分 独・ハンガリー<1105シネスイッチ銀座>


アゴタ・クリストフ 原作

ヤーノス・サース 監督

アンドラージュ・ジェーマント

ラースロー・ジェーマント



暗い、暗い映画 でも忘れられないだろう

まず魔女と呼ばれる冷酷な祖母がでてくる。

でぶでぶに太って外見も異様だが、実に憎たらしい。今まで観た映画の中で最高に凄い。

双子の孫をいじめ尽くし、村人も容赦なく幼い少年を殴りつけるので、この監督の悪い趣味かと最初は思わせるが、この少年も決して負けてはいない、こんな境遇でもしたたかに成長していくのだと静かに語っているのが段々と理解されてくる。


ドンパチの無い戦争映画である。先の戦争でハンガリーはドイツと戦い、戦後はソ連に虐待され、長い不幸な時代が続いた。それでも大多数は祖国を捨てなかった。この少年たちの我慢強さは民族の意地を象徴しているのかもしれない。


この映画はかなり独特であるが、この雰囲気は原作から来ているらしい。

続編もあり、かなり注目された読まれた原作とのことだ。

双子だから(配役上も)、敢えて意見の違いや性格の違いは無視し、常に「僕ら」で語られている。

殴られても気持ちが強ければ痛く無いと言って、兄弟で殴り合いっこして、鍛える場面がある。単なるストイックさでは説明がつかない異様な感覚。


戦時は、告げ口(内部スパイなど)も多く、食料はじめ物が無いから、誰しも自分の事で精いっぱい。他人を信用せず、道徳は地に落ち、欲望だけが表面化する。

そんな時、親のいない子供にしわがよる。


離れていた勝手と言えば勝手な親は帰って来るなり、子供の前で爆弾死。

祖母も死んでしまうから、天涯孤独な双子が残る。

一人は亡命を選び、一人は残留を選ぶ。


その後二人はどうなったのだろう。

リスク分散で片方が行き伸びたかもしれない、その予見だけが救いか。


不思議なのはこの双子の兄弟が可哀想すぎるとか言う感情移入が全く無い作りになっていることだ。

監督の感情を殺した作風がそうさせたのだろうが、それは徹頭徹尾無表情で通した子役の演技力が可能にしていると思う。

怖い少年たちである。


No.11 マルタのことづけ

    2013/91分 メキシコ <1022シネスイッチ銀座>

 

クラウディア・セント=ルース 監督、脚本

ヒメナ・アヤラ(クラウディア)、リサ・オーエン(マルタ)

 

 

誇張しない、主張しない、徹底した普段着の姿勢に感動

でも登場人物の設定はかなり特異。

シングル・ママのマルタはエイズ患者で、死が間近。

次女はリストカットや睡眠薬と縁が切れず、ヒーリング教室に通う軽度の心神症。

弟は小学生だがネションベンがとれない。

長女はしっかり者だが失恋中。

3女はかわいいが、ちょこっと家庭のお金をくすねたりする。

その家庭に出入りするクラウディアは2歳からの天涯孤児で、寡黙な孤独に沈んでいる。

このような特異な設定だが、どこか共感を覚えてしまうのは私だけではないだろう。

 

この家庭環境ほどではないにしても人は皆、少なくとも少しは自分は他人より不幸だと何処か思っているふしがある。

 

不幸でも生きざるを得ない。

そんな当たり前のことを淡々と、不幸ぶらないで、ドラマティックな感傷に浸ることなく、控えめに語っているのがこの作品である。

 

それは、どんな環境でも毎日という日常があるから、何とかそれなりに、こなして行くしかない。それが人生というものだという開き直りに他ならない。

 

はたから見れば不幸でも、「生きる」という本能に従い自然に流されていく中に、結構それなりの安定感が見え隠れしているものだ。

そこには家族間の助け合いも必要だし、他人を思いやる気持ちも育ったりする。

 

だから、監督はこの家族を特別視していない。彼らの日常を淡々とスケッチし、ちょこっと見え隠れする人の善意とかを掬い取っていく。

 

でも、感情は抑えめである、誰でも期待するマルタの遺言さえ、実利的でけっして感動的ではない。

 

母が亡くなっても、彼らはきっと自立して乗り越えていくだろう。

庶民の庶民たる人生の喜びというのは、絵に描いたようなものは無い。

どんな境遇でも、日常の生活以外にないことを、教えてくれる佳作であった。

No.10 小さいおうち

    2013/136分 日 <9.12dvd>

 

山田 洋次 監督

松 たか子、黒木 華、吉岡秀隆、片岡孝太郎

 

本作で黒木華がベルリンで銀熊賞を貰い注目を集めた。

彼女はこれで一気にメジャーの仲間入りを果たした、賞の果たす役割は絶大。

 

でもこの映画は松たか子の作品だろう。

役柄のイメージは監督が指示したのだろうが、不倫妻という暗いイメージは一切ない。

陽性で気品もあり、しかも茶目っ気たっぷりである。

この青空みたいにさわやかな時子のメンタリティーを松たか子が自然に演じて、極めて魅力的である。

多分素でもこんな人なのだろうか、はまり役と思う。

 

戦前は女性にだけ姦通罪があり最長2年の刑が執行された。

日本では1947年に廃止されたが、今でもイスラム国、台湾、韓国にはあるとの事だ。

時子を敬愛する女中のタキは最後の板倉との逢引の仲立ちを嘘をついて反故にする。

世間の目が厳しい戦時下であり、時子を罪人にしたく無いという判断がそうさせたと思うが、その後結局空襲で死んでしまった時子のことを思うと、何故あの時邪魔したのかを終生悔いることとなる。

 

戦前にも愛のために身を捧げた勇敢な女性は多い。

倫理観が強すぎて、他人の不倫を許せない女性も多かった。

異質な女性の対比を描いた作品だが監督はどちらを選んでいるのだろうか、不明である。

 

 

 

No.9 柘榴坂の仇討 

   2014/119分 日 <0908松竹ピカデリー 試写会>

 

若松節朗 監督 浅田次郎 原作

中井貴一、阿部寛、広末涼子、高嶋政宏、藤竜也、中村吉右衛門

 

物語は明治維新を挟んだ13年だが、現在も柘榴坂は存在する。

品川駅西口のホテルパシフィックの横にある坂でグランドプリンス新高輪に至る結構長い坂である。

 

旧水戸藩士佐橋十兵衛は名を直吉と変え、人力車の車夫となり新橋ステーションで客待ちをしていた。

そこへ、13年にわたる追跡で彼をついに見つけ出した旧彦根藩士、井伊直弼警備責任者志村金吾が現れ、直吉に奥平家下屋敷と行先を告げる。

確認のための少ない会話を通じ、直吉は自分の刺客と悟る。

折しもあの日と同じ雪の降りしきる日であった。

 

柘榴坂で車を止め刀で向き合う二人だが、重大な警備不備責任で切腹も許されずただひたすら仇討だけを生きる目的にしてきた金吾と、直弼殺害後切腹しなければいけない身を死にきれず己の生き恥と向き合いながら耐えて生きてきた直吉は、夫々あの雪の日のまま一歩も動いていない武士同志であることに気付く。

廃藩置県で世は武士道は過去のものとなっていた時代であるからこそ、きらりと光る純粋で一途な無骨者の心が特別な輝きを放つ。

仇討のため無収入である金吾を支える妻も骨っぽいが、物質に冒された現代人にとって、精神の高みこそが生きる根源であるというテーマが、とても貴重にみえる。

 

価値の大転換は明治維新についで先の大戦敗北時にもあった。

両者を比較すれば、何か日本人も本質の点で変わってしまった気もするが、どうだろうか。

 

この映画は他の浅田作品同様「泣かせどころ」が計算され、幾分安っぽい感は否めないが心洗われる一作ではある。

  

吉右衛門、藤竜也がいい。

 

 

No.8 グランド・ブタペスト・ホテル

   2014/100分 英・独<8.5角川シネマ新宿>

 

ウエス・アンダーソン 監督

レイフ・ファインズ、エドワード・ノートン、エイドリアン・ブロディー、シャーシャ・ローナン

 

所謂サスペンス・コメディー。

映画は楽しくなければという点からいえば及第作。

 

戦前のヨーロッパ上流社会テイストだから、憧れを持つ人はOK、そうでない人には黴臭いか。

特権意識が豪華ホテルの存立基盤だから今となっては過去の話で、従って「昔々のおとぎ話」の雰囲気。

 

大富豪の遺産相続争いをモチーフに、城館で繰り広げられる陰謀・殺人、監獄生活と脱走劇、冬季競技施設を使った雪上チェース、ナチスの客車検閲のスリル、などなどハラハラドキドキ場面がコミカルに続き、極め付きは雪山に架かるロープウエイのクロス地点での乗り換え逃亡、なかなか多彩な攻め口である。

 

これが、たんなるハチャメチャ喜劇に終わってないのは、グランド・ブタペスト・ホテルの威厳と格式、それを守ることに命をかけたコンシェルジュの職業意識と、身分を超えたベルボーイとの師弟情愛が、結構一途に描かれているからだろう。

***

「ダージリン急行」は親子の情を捨ててまで社会奉仕にいそしむ大きな「母性」を描き、本作は後輩育成というある意味「父性」を描いた。

共に血縁ではない者への眼差しに好感が持てる監督ではないか。

 

今回は無駄なカットも無く緊密度が増しすっきりしている。

 

又、回顧のまた回顧という脚本で時間軸に厚みを持たせ、架空の夢空間にしているのも面白い、少しこりすぎかもしれないが・・・。

 

それでも、久々に楽しい映画だった。

No.7 永遠のゼロ 2013/144分 日 <07.30 dvd>

 

山崎 貴 監督  百田 尚樹 原作

岡田准一、三浦春馬、吹石一恵、夏八木勲、田中泯、山本学、橋爪功、染谷將太、浜田岳

 

脚本の無駄の無い構成力が見事であり、脇役の田中泯、夏八木勲が光って全体を引き締めている。

 

筋書は、岡田准一演じるゼロ戦パイロット宮部久蔵が、仲間から海軍一の臆病者と言われ乍らも、実は部下に無駄死にを諌め、可能な限り生き残る努力をせよ、と説く勇気ある人物(当時では)だったということが、孫たちの特攻隊生き残り者への聞き取り調査で明らかになって行く過程を描いている。

 

でもこの映画では、名人芸の操縦技術を持ちながら、敵との空中戦では逃げてばかりという噂への反証がないので、単に家庭の為に命を惜しむただそれだけの印象で前半が描かれているのは問題だろう。多分原作を読めば後半とのつながりが自然なのかも知れないが。

 

又、負け戦続きの戦争末期、軍は合理的判断より精神論を優先し、兵に潔く死ぬことを求めた中で、「家庭第一」「命第一」と説く人物が存在しえたかどうか疑問もあるし、

第一、当時敗戦を予想した人はいたと思うが、独立国家として見事に再生することまで確信した人はまず居ないと思われる状況の中で 、日本復興のため何としても生き残れという彼の説諭はあり得ないのではないかと思われる。

だから、これはあくまで戦後の新しい価値観から後付けした発想に過ぎないという懸念を捨てきれない。

 

以上二点のひねくれ意見から評価を下げたが、国家観を離れた特攻隊映画というユニークな視点は評価され、感動度という点でもかなり高い点数はつけたい。

 

 

 

No.6 マイライフ・アズ・ア・ドッグ 

   1985/102分 スエーデン <07.12 103放映>

 

ラッセ・ハルストレム 監督

アントン・グランセリウス(イングマル/写真左)、メリンダ・キナマン(サガ/写真右)、マンフレド・セルネル、アンキ・リデン

 

定評ある名画。

偶然NHKBSで放映されたので見たが、やはり心洗われる傑作だった。

 

一般的には「感動的な癒し映画」になっていると思うが、良く見るとリアリズムに貫かれて降り、センチメンタルだけでは決して無い。

 

1950年代のスウェーデンが舞台でヨハンセンのヘヴィー級タイトルマッチで国が盛り上がっている頃。(映画は85年製作)

 

12歳のイングマルは宇宙に打ち上げられ、捨てられたライカ犬に比べれば、自分にどんなことが起ころうともまだましだ、と常に思っている少年である。これが題名の所以。

 

父はアフリカにバナナ取りに行っていることになっているが、永らく不在で母子家庭。

母は重症の結核患者である。

 

甘く無いと感じたのは母と子供の関係。

普通の設定なら優しい母と死別して涙を誘うところだが、ここでは母はヒステリー症で子供につらく当たり、厳しく決していい母親ではない。

病気とはそうゆうものだろう。

それでも昔は優しかったという経験をイングマルはいつも思い出して、疑うことなく母を慕っている。クリスマスプレゼントに、ママが喜ぶだろうとトースターを買って準備するが、でもそれを手渡すことは無かった。

 

兄弟は別々のところへ引き取られれる。

愛犬シッカンも一時的にホテルに預けると告げられる。

 

たらい回しされた後、田舎の叔父のところへ引き取られ、叔父と村民に温かく迎えられ、やっと安定した生活が戻るが、叔母と叔父の夫婦関係は決して良くは無い。

夫婦はどれも仲睦まじいとは限ってない。でも別れるほどではない。この設定もしたたかだ。

さらにそのおじいさんは病気で寝ているのだが、所謂理想的なお爺さんでは無い。

少年に女性下着のカタログ本を読ませ、にんまりして、おばあさんが来ると布団に隠すようなエロ爺。年寄は結構枯れないものだというのも鋭い。

 

叔父さんに頼んで愛犬シッカンを引き取る約束をしたが・・・。

 

母の死、兄弟の別れ、愛犬の死、という過酷な環境を冷静に描きながら、いや描いたからこそ、小さな田舎町のガラス工場や少年サッカー競技を通しての、心温まる触れ合いや成長が綺羅星のように輝いて描かれている。

 

子供を乗せたロープを走る宇宙船が空中で止まったり、水たまりに落ちたりのシーンは屈託のない子供たちの楽しさを象徴して極めて印象的だ。

 

それに実に多彩な人物を登場させて飽きさせない工夫が目につく。

 

少年として生きようと努力している少女、緑の髪の男の子、屋根から降りない老人(冬の湖で水泳もする)、ロープ乗り芸人、へんてこなポーズをとらせ彫刻に没頭する芸術家、少年が好きな肉感的な女性、頑ななガラス工場の親方・・・。

 

そして、おねしょをしていたイングマルが逞しく成長していく予感で幕が下りる。

 

イングマル少年の純真さ、やさしさが胸にしみ、心洗われて後をひく。

 

 

No.5 アナと雪の女王  <06.30大泉ジョイ・シネマ>

              2013/102分 米

 

日本語吹き替え版。2D

クリス・バック 、ジェニファー・リー 共同監督

エルサ/松たか子、アナ/神田沙也加

 

ディズニー プロ アニメ。

すべての映画興行の記録を塗り替えようとしている、大ヒット作品。

「風立ちぬ」を抑えて、アカデミーも獲得した。

大人向きに作られた宮崎監督のものより、アンデルセン童話の方がアニメの王道で有利なのは仕方無い。

絵で感心させられるのは、氷の質感だろう。ファースト・シーンで湖から氷を切り出す作業があるが、大きなキューブがほぼ実写に近いリアリティーを持つのに驚かされる。

CGなども技術の巧拙があるが、間違いなく日本のレベルを超えている。

 

自己犠牲と最後は愛が勝つみたいな語り尽くされた筋なので変化を持たせる為、姉妹は目だけが異常に大きいが鼻など敢えて低く、決して美人には作られていない。おまけにアナの相手役まで、美男ではなく、少し臭い男として描かれているのは、夢の世界だけに終わらせない配慮なのだろうか。

 

そして決定的な決め手は主題歌を含めた音のデザインが群を抜いている事ではないか。

世界的ヒットとなった主題歌「Let it go」は劇中挿入歌版とエンドロール版があるが、吹き替え版では松たか子とMayジェイが唄っている。

でも私は誰が唄っているかを知らないで見たので、その劇中歌の歌唱力に驚かされ、誰だろうとず~と気になっていたが、エンドロールで配役通りの松さんのクレジットがあったので驚いた。

未だにこれはプロ歌手の黒子がいるのではという懸念を捨てきれないが、奇跡の唄声といってもいいだろう。

Mayジェイさんの方も定評通りのすばらしさだ。

 

帰宅後調べてみたら、日本版の唄声は海外でも評判になっているらしく、ミュージカル・アニメの吹き替えという難しい作業が大成功したという事だろう。

 

従って、この映画を見る時は日本語吹き替え版で見ること、出来れば3Dがいいと思う。

 

地球温暖化が呟かれる昨今、触ったものがすべて凍り付くような魔術が、受け入れられる世情が面白い。

No.4 ニーチェの馬  <2014.6.19 dvd>

2010/129分 ハンガリー、フランス、スイス、ドイツ

 

タル・ベーラ 監督  

デルジ・ヤーノシュ(父)、ボーク・エリカ(娘)

 

モノクロである。冒頭シーンから引き込まれてしまう。

一見、毛が抜け落ちたように見える毛並みの悪い駄馬が汗を垂らしながら、一本だけの引き棒馬車を牽いて、喘いでいる。

馭者はアカデミヤ美術館にあるダビデ像と見紛う彫の深い顔をした老人。

右手が不自由だから、左手で間断なく馬に鞭を打ち付けている。

 

ニーチェはトリノでこのように喘ぐ馬を救うべく、前に立ちはだかり馬の首を抱いて慰めたが、2日後に発狂した。この故事にインスパイヤーされた脚本らしい。

 

全編を通して、無人の荒野に吹き荒れる風の音が鋭く唸り続ける。

同時に、チェロの短調な音色が繰返し、繰返し、念仏のように流れて進む。

 

この異様な映像はパゾリーニ風である。ぱさぱさと乾燥した荒野をモノクロ画面が生き物みたいに描き出す。心象風景。

 

登場人物はほぼ二人だけ。セリフも殆ど無い。父、娘ともに全くの無表情。

 

訪問者が家にやって来て、ニーチェの言葉らしきものを手短に言うが、他は何のヒントも無い。だから、自分で考えることを強要される。

 

難しい映画だが、これだけインパクトの強い雰囲気の映画を久しぶりに見た。

 

誰も驚くのは食事。

朝は焼酎小グラス2杯、夜は茹でたじゃがいも1ケ。

夜は寝るだけ、苦役にしか見えない日々を、判で押したよう続ける父と娘。

風の吹きすさぶ荒野の一軒家。

 

希望など無縁の世界。

喜びも楽しみも、いや悲しみさえ無い。

何のために生きているの?

 

決して得ることのない、この単調で過酷な生活の繰返しから、シジフォスの神話が連想され、実存主義の匂いが漂う。

 

初日はじゃがいも1ケ全部食べたが、6日目は一口だけで捨ててしまう。

井戸も枯れ、馬も餌を食べない、ランプの火は油を入れたのに何故かもう点かない。

 

7日目、荒野の一軒家を死の影が覆っていく。

 

人生否定の作品のようにみえる。

ニヒリズムか、生きることは本当に無意味なのか

 

自分を導くのは神ではなく自分自身、来世など無いから現世に生きろ。

宗教から離れて、どの道を進めばいいのか。

ニーチェが感じた世紀末の不安は現代も続いている。

 

(2011ベルリン・銀熊賞受賞)

 

No.3 船を編む          <2014.616tv録画>

2013/133分 日

石井裕也 監督 三浦しおん 原作

松田龍平、宮崎あおい、オダギリ・ジョー、加藤剛、

小林薫、渡辺美佐子、池脇千鶴、鶴見辰吾

 

地上波tvで138分だったがコマーシャル入りで、かなりカットされていたので、映画コメントも如何と思うが、原作は本屋大賞を貰った時に読んでいたので、ニュアンスの違い位は理解したつもり。

 

 この作品は基本的に原作の力が大きい。

「始めに言葉ありき」の通り、言葉の持つ力は計り知れないのだ。

言葉で戦争が始まり、言葉で平和が来る。

恋愛も言葉で始まり、悲しみも言葉で癒される。

法律も言葉なしでは存在しえないし、思索も言語を通して行われる。

だから、言語学の面白さにはまると果てしない。

 

これにはまり、辞書作りという途方もない作業(この場合14年だが20年以上もあるらしい)を「用例採集」というメモ帳を片手に、根気よくこなしていく地味な人種に光を当てた視点がすごい。

 

その代表例として、辞書に憑りつかれた松本先生を登場させ、その弟子たる、荒木、馬締両君との絆の深さと、せつない別れが物語を盛り上げていく。

 

一方脚本(映画)のテーマは「言語」ではなく「恋愛」に重きが置かれている。一途で純粋な「言語」の徒である馬締君が最も縁遠い「恋愛」に落ちて行く過程が微笑ましく、さわやかだ。これはこれで、楽しい。楽しくなければこその映画だから。

 

松田龍平はもともと無表情だから変人として適役だろう。

野良ネコの「トラ」も抱っこされて喜んでいる、大したものだ。

 

それに、腕に黒いバンドをはめ、汚い部屋で常に平然と仕事を続ける荒木編集者を、小林薫が見事に演じて不足ない。

もともとすごい実力者だが、彼がこの映画を引き締めている、存在感が大きい。

 

 一言で言えば、映画の方が面白いが、感動は原作の方が上と感じた。

 

最後にtv編集者に一言、確か映画館で見た予告編には馬締君が社食で食事を済まし、食器を下げる時、考え事をしていて鉢植えの植木にぶっつかり、すみませんと木に謝る場面があったと思うが、それがカットされてなかった。

 

要するに46時中言葉の事を考えて、社会生活など頭にない変人振りを表現しているのだが、このカットは言わば馬締君のエッセンスみたいなものだから、残しておいて欲しかったな。

 

テンポもいいし、キャスティングもいい。

しかもロケもなく、ギャラ以外は金がかかっていないのに、飽きさせない。

総合的に成功作ではないか。

その意味の日本アカデミー賞6部門受賞だと思う。

 

だがなんとなく軽い感じで、エンディングのシーンもあとを引かなかったので、恐れ多くも☆4とした。

 

 

No.2 ブルージャスミン  <2014.6.3シネスイッチ銀座>

2013/96分 米

ウディ・アレン 監督 

ケイト・ブランシェット、アレック・ボールドウイン(夫)、サリー・ホーキンス(妹)、ピータ・サースガード(新恋人)

 

題名は「憂鬱なジャスミン」、ジャスミンは主人公の名前。

K・ブランシェットが演じている。本作で今年のオスカーの他NY、LAの批評家協会賞を獲得し、注目を浴びた作品。

 

セレブな生活から転落しても、昔を捨てられない虚栄心の塊みたいな我儘な女性を壮絶に演じている。精神不安の発作が出る前後の演技など、こめかみの筋張りや痙攣など演技と思えないリアリティーがあり、背筋が寒くなる。しかも最初から最後まで出ずっぱり、エネルギーの持続力も凄い。彼女の演技がこの作品の見どころ。

 

テーマは「欲望という名の電車」とほぼ同じ。

ブランチと言う名がジャスミンに変わっているが、どこかブランチには憎めないところがあり哀感を感じるが、ジャスミンの描き方には感情移入の隙間もなく、自業自得だから仕方ないよ、で観客を納得させてしまう。

 

まったく冷徹な人間解剖で、楽しく無いが、音楽や部屋のセットなど細かいところまでも配慮された手抜きの無いさすがの作品ではある。

 

脚本の基本はまず苦難な人生を描き、何かを転機としてそれからの脱出努力が続き、ラストは明るい未来を予想して(再生)終わる線であろう。

その方が観客がホットする。

だが、現実はそう簡単に再生するものではないから、嘘っぽいのもあり、私でさえも最近、辟易ぎみだ。

 

そんな路線を軽薄と監督は思って決して迎合しない。

「ミッドナイトインパリ」みたいなのは別にして、監督の基本路線はリアリズム。

そして、監督自身の人間性も穴だらけだから、登場人物全員を監督自身が信用していない、したがって観客は心が不安になる。

 

この作品も登場人物でまともなのは、義理の息子ぐらいなもので、他は妹の子供に至るまでどこか憎々しく、かわいく無い。

このような作風を何処までも突き詰めていくと、映画が興行的に成り立たないから、

コミカルに軽く作ってはいるが、このブラックユーモアが通じているかどうかは疑問だ。

 

ただ、ブランシェットの演技指導に彼がどのくらい関与したかで、又評価を変えないといけないが。

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No.1 それでも夜は明ける  <4.11 バウスシアター>

 

スティーブ・マックィーン 監督

キウエテル・イジョフォー、マイケル・フロスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ、ブラッド・ビット

2013/134分 米

 

 

今年のアカデミー作品賞。1841年北部の町で「自由黒人」のバイオリニストとして恵まれた家庭生活を送っていたソロモンは白人の知人に騙されて、拉致され「奴隷」として南部に売り飛ばされる。

それから12年、想像を絶する酷使や危険を経てついに、あるリベラルな白人(ブラピ)の手助けで人権を回復するという「実話」が映画化された。

 

奴隷商人の実態や綿花畑での労働実態は既に何回も映画化され、そのたびに南部白人の非人間性が糾弾されてきたので、新鮮味がなく今更何故本作が作品賞なのかわからないというのがまず第一印象。

でも賞を貰ったという事実を勘ぐれば、1865の奴隷解放、1960年代の公民権運動、オバマの大統領就任、という黒人解放の大きな流れにも拘らず、現在でも水面下で黒人差別が行われているというベースがあればこそ、「今一度反省しなおそうよ」と語りかけた監督の視点に賞を与えたのかもしれない。

 

我が国にだって、まだに被差別部落や朝鮮人蔑視が存在するのだから、黒人を人間として見ないで馬や牛と同じ動物として使い捨て利用してきた米国での実態は、かなり根深い(少なくとも意識の上では)。

米国白人がこの受賞を契機に、事実を真正面から捉え、さらなる一歩としてほしいし、我が国においても差別を考える契機になれば良いという、社会性の高い作品である。