☆4.5

1937 舞踏会の手帖 仏 No.2

1949   頭上の敵機 米/G・ペック

1957   情婦 米 No.13   

 

☆4.0

1940 海外特派員 米/ヒッチコック

1947 殺人狂時代 米 No.8

1963   シャレード 米/ヘップバーン

1964  マーニー 米/ヒッチコック

1967 影の軍隊 仏 No.6

2000 キャスト アウェイ No.10

2000 グラディエーター 米/R・クロー

2010 ザ・ファイター No.11

2012 最高の人生のはじめ方 No.7 

2015 先生と迷い猫 日 No.4

2015 母と暮らせば 日/山田洋二

2017 タクシー運転手 No.9 

2018 日日是好日 日/樹木希林

 

 

☆3.5

1967  刑事マディガン 米/R・ウイドマーク

1970  大脱獄 米/マンキウイッツ K・D

1971 ニコライとアレクサンドラ/英・米 188分

1978 女王蜂/市川崑

1980   レイジング ブル No.12

1993  アビス 米/J・キャメロン 海底

2015  92歳のパリジェンヌ 仏 No.5

2018  ティーン・スピリット No.1

2019  TV 鬼滅の刃 1~10 

☆3.0

キャッツ(映画番外編)No.3

2018 カメラを止めるな 日/ゾンビ

 

 

No.13

情婦

  米 1957/117分

アガサ・クリスティ 原作

ビリー・ワイルダー 監督

 

タイロン・パワー、マレーネ・ディートリッヒ

チャールズ・ロートン、エルザ・ランチェスター

 

アガサ・クリスティだから騙されないようにきを付けて見ていても、やっぱりドンデン返しにやられてしまった。だが、この作品は単なるA・Cものではなく、喜劇としても成立している見事な作品で脚本力も並でない。本作でG・G 助演女優賞を獲得したエルザ・ランチェスターの看護婦の滑稽さはシリアスな展開と無関係に走らせて、それでいて邪魔でない。それに古風なロンドンテイストが散りばめられて、医者の言うことを聞かないハチャメチャ患者の行動も格調が維持されワイルダーの面目躍如というところ。

 ただ疑問がひとつ、妻の策略で夫を救う計略が成功したら真犯人は誰にしようとしたのかが不明、策略未遂だったから真犯人が分かったけど・・・。

こんな名作を見ると映画は本当に進歩しているのかが疑問に思えた来る。

 

No.12

レイジング ブル

   米  1980/128分

 

マーティン・スコセッシ 監督

 

ロバート・デニーロ(兄 ジェイク・ラモッタ)オスカー他賞多数

キャシー・モリアーティ(妻 ビッキー)

ジョー・ペシ(弟 ジョ-イ・ラモッタ)

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ブロンクスの怒れる牛 と呼ばれた実在のボクシング世界チャンピオンの自伝映画化である。

引退後のジェイクを演じる為、デニーロが27kg太ってデニーロ・アプローチと言われ有名になった作品である。彼はオスカー他賞を総なめした。 

 しかし作品としては評価半ばする落としどころが難しい作品だった。

 

スコセッシはイタリヤ系でマフィアの町に育った、その反動だろうか暴力と犯罪と正反対の牧師になるのが少年の時の希望だったらしい。

この作品のエンディングで ヨハネの福音書が引用されている。第9章25:

彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目だったのに、今は見えると言うことです」

 

これからすると自伝は単なる懺悔録と割り切っていいのかもしれない。

ジェイクは病的な嫉妬持ちで猜疑心が強く、自分本位で他人のことなど少しも考えもせず、支配欲と暴力の本能丸出しの、誰にも好かれない嫌な男だった。その為妻や献身的な献身的な弟が去り孤独な金のないゴロツキに墜ちてしまった時、そこで初めて欠点を自覚し、悪かったと詫びている。

神が盲目だった自分の目を開いてくれた・・・・。

 

しかしこれは自伝だから、自分を美化していると思われる。何故なら彼の現在の生活は、品の悪いジョークを飛ばす安酒場の司会役で糊口を拭っており、やはり好かれる存在では無いからだ。本当に後悔して生まれ変わっていない。これも矛盾。

 

作品的には兄弟愛の相克を描いたのか、嫉妬心の異常さを克明に描いたのか、ファイティングを描いたのか、焦点が拡散してしまって、訳が分からなくなってしまう。

 

特に現役と引退とのつなぎ目が悪く、違う映画を見ているように感じたのは私だけでは無いのでは無いか。  

 

ファイティング場面も負け試合が全部八百長みたいに、本人はけろっとして弱ってないのも不自然。劣勢場面の撮り方に違和感も残る。

 

スコセッシ、デニーロ というイタリアコンビで、大変な力作であるが、頑張った割には多くの誤解を与えてしまったのは残念。

 

カヴァレリア・ルスティカーナの挿入歌が効果的。

 

No.11

ザ・ファイター

   米 2010/116分 

 

デヴィッド・ラッセル 監督

 

マーク・ウオルバーグ(デパーティッド)、クリスチャン・ベイル(ダークナイト)、エイミー・アダムス

 

 ボクシング映画は名作が多い。これもそうかなと思って見たが、本作はボクシング映画と呼ぶより、ファミリー・ストーリーに近い内容ではないかと思う。

 

と言うのは、ファイト・シーンが月並みで新鮮味がなく、散々やられた後にきっと大逆転の反撃があるだろうというのが戦いの前から見え見えで、監督の力の入れ具合を感じないからだ。

 

本作が注目されたのはむしろ、C・ベイルがアカデミー、ゴールデングローブの助演男優賞、エイミー・アダムスがGGで助演女優賞を得た事でも分かるように、演出力が際立っている為に違いない。

 

さらに、マサチュセッツのローウェルという町の物騒で寂れた雰囲気に巣食う、自己主張の強い欲望まる出しだが、単純で憎めない人々という米国のひとつの典型が、確かにそこはかとなく伝わってくる処が見どころでもある。

 

型破りな家族が出てくる。異母兄弟が10人位いる。それを取り仕切る が鳴りたて続ける母(メリッサ・レオ)の存在が終始主人公を上まっている。何をして生活しているのかさえ不明、謎の集団生活である。

 

 まともな人間は主人公の弟と後夫と恋人の3人だけ、兄に至っては薬漬けで何事にもいい加減で弟の足を引っ張っているが、元ボクサーだけに弟のセコンドとして代えがたい人物だという設定が、兄弟愛物語を複雑に面白くしている。

 アメリカは個人主義の国で親子、兄弟は夫々独立しているはずなのに、映画の世界では家族愛や兄弟愛を描いた作品が意外と多い。

現代人の孤独の裏返しとして、ノスタルジー的に作られるのだろうか、昨今の社会情勢は我が国にも似て来た。

** 

ソクラテスの妻は悪妻で有名だが、仮に良妻だったらあの偉大な哲学者は出なかったかもしれない。弟も厄介者の兄が居なかったら果たしてチャンピオンまで上り詰めたかどうか、分から無い。人生は結局不可解だ。

一見ハチャメチャで訳が分から無い映画だけれども、それが人生と言うものなのだろうか。

**

ボクシングにはハングリーさが求められるから、決まって貧乏生活から話が始まる。

彼を押し上げた原動力の一つに、貧乏の他に家族という絆があった事は確かで、それが重荷にもなるし、原動力にもなるという事なんだろう。

 

この作品は実在した世界チャンピオンを題材にしているが、

一風変わった乾いた作品になっている。

 

No.10

キャスト アウェイ 2000/144分 米

 

監督 ロバート・ゼメキス (フォレスト・ガンプ)

 

トム・ハンクス、ヘレンハント

 

Fedexの社員がその輸送機で移動中、南太平洋上に墜落してしまった。たった一人だけ生き残ったが、漂着した島は無人島だった。

この映画は単にサバイヴァルを描いている訳ではなく、4年半にわたる孤独な心とその葛藤を追って、極限があぶり出す

人間とは何かを提示して、ぬくぬくと暮らしている我々を揺さぶってくる。

 殆どT・ハンクスの一人舞台、最初と最後とは同一人物と思えないぐらい減量したり、日焼けしたり、髭を伸び放題にしたり、俳優魂をみせた熱演が各種賞に繋がった。

 

人は一人では生きられないと言う。流れ着いたサッカーボールに顔を書き、話しかけながら生活する。それとも別れの時がやってくるシーンが大きな見せ場を作っている。

多分孤独な自分の投影物としての自己愛みたいなものが表象されているのかも知れない。

 

 彼を支えてくれたボールと最愛の妻の面影も結局は去って行った。苦労の果てに得られたものは何も無かったが、それでも「息をし続ける」しかないのは、一度は自殺を試みた彼の得た人生の極意だった。

 

ハッピーエンドではないが、エンディングで写される原野の十字路に微かな希望が見える。

 

No.9

タクシー運転手

 2017/137分 韓国

 

監督  チャン・フン 

 

ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、

リュ・ジョンヨル

 

 

 

<まず光州事件を簡単に整理しておこう>

*1980/5.17~27光州で起きた市民の民主化運動(軍事政権が続いていた)

*軍部の行き過ぎた鎮圧行動により、多数の死者、傷害者、不明者 を出した

*原因は前年の朴大統領暗殺、その後の全斗煥によるによる民主化勢力の弾圧の強化

 及び民主化の象徴的存在であった金大中の逮捕・死刑宣告(実行されず)

*軍部、右翼によるアカ撲滅運動(今日尚、北朝鮮扇動説を言う人もいるらしい)

 

鎮圧に名を借りた粛清に近い軍の残虐行動が潜入した外国人記者により、後日明らかになり世界に報道された。米国は赤化を懸念してか黙認し、ソウルの民主化勢力も敵前逃亡で全く孤立無援の状態で被害を大きくした。そのほか朝鮮半島内が今も抱える大きな地域差別(全羅道に対する)も関係して複雑な構造になっている(金大中は全羅道、全斗煥他指導層は慶尚道出身)。韓国は反日という点では団結しているが、国内は差別が目立ち一体ではない。上記地域差別の他に男女差別、財閥や政治家の縁者差別、学歴差別 等今日尚歴然とあるようだ。

 政治的にも北朝鮮を敵とみなす保守派、中間派、親密派と分かれており、米国や日本も都度振り回される。

 

 この映画はロックダウンされた光州に潜入して命がけの取材を敢行したドイツ人記者とそれを助けたソウルのタクシー運転手のヒューマンドラマである。

 

ソン・ガンホが線の太い素朴な好人物を見事に演じてすばらしい作品にした。

難を言えばクレッチマンに物足りなさを感じたが、サスペンスあり、コミカルの中にも親子愛同業者愛など泣かせる場面もあり、デモ場面も本格的なロケで臨場感にあふれ、全体として想像以上の作品だった。

 

ただ、仲間の自己犠牲がやや不自然で、泣かせ場面も少し臭い。これを抑えれば☆4.5間違い無いのだが、おしい。韓国映画もいい。

 

 

No.8

チャップリンの殺人狂時代

    1947/124分 米

 

監督、脚本、音楽、主演  チャールズ・チャップリン

 

マーシャ・レイ、マリリン・ナッシュ、イソベル・エルソム

 

 

チャップリンは最高傑作と言ったらしいが、世間の評価は低く、

興行的には失敗作だったようだ。

 

観客は笑いと、ペーソスと、ヒューマニズムのチャップリン・ワールドを期待し、ホロリと泣きたかったのに,それとは無縁の映画だったからだと思う。

 

ブラック・ユーモアというジャンルなのだが、どう無理して見ても愛すべき彼を殺人者に見立てることなど出来るはずない、最初からキャスティングに無理が無いか。

 

原作発案者のオーソン・ウエルズ あたりだったら普通に見られると思うがどうだろう。

 

 同じ反戦映画でも「独裁者」はあのラストシーンに涙が止まらなかった人が多い、私など今でも思い出すと胸がざわつく。

あれはコメディーと政治的主張が見事に一体化した作品でチャップリンと観客は同じ側に居た。だから感情移入出来た。本作は反対側にいる。

 

 でも彼が喝破したことは、今日尚真実として生きて警告を発していると思う。

エンディングで死刑執行を前にして言う有名なセリフ

「戦争や紛争はビジネスである、一人を殺せば犯罪者になるが、100人殺せば英雄だ」

 

米国は大戦後、世界各地で戦争をし続けている今日尚。それは民主主義や自由の為ではない、米国の最大の輸出産業である兵器を自ら消費し、紛争地帯に売りさばくビジネスに見える。

こんな状況を、大戦を通じ既に1947年に喝破していた、この慧眼に頭が下がる。

 

ビジネスとして、金持ち老婦人を殺し金を巻き上げる主人公を裁く権利が誰にあるか、国家も同じことをしているではないか、この問いかけを今日われわれは無駄にしてはいけない。 

 

 

更に言えば、外国の戦地で傷つき死んでいく米軍は、黒人や移民や貧しい白人など所謂下層階級(現在は志願兵制度)で、アメリカの富裕層や特権階級(ワスプ)は何ら影響が無い。

むしろ、そんな輩は死んでもらいたいとさえ思っているのではないかと、かねがね疑っている

 

戦争は人間の汚い下心が引き起こすもので、決してカモフラージュされた愛国心等ではない、そんな目を持ち続ける必要性、こんな事を想起させる映画だった。

 

彼は常に放浪者、今で言うホームレスを演じて来た。最下層から見た世間の矛盾、レジェンドになっても、この「下から目線」を失なわ無かった稀代の人格者でもあった。

 

No.7

最高の人生のはじめ方

  2012/108分 米

  ロブ・ライナー 監督 ガイ・トーマス 脚本

  

  モーガン・フリーマン、ヴァージニア・マドセン(サイドウエイ出演)、マデリン・キャ

  ロル、キーナン・トンプソン

 

「スタンバイミー」の監督作品。元妻はペニー・マーシャルで名作「レナードの朝」の監督。彼女の兄はゲイリー・マーシャルで大ヒット作「プリティ・ウーマン」の監督。

名監督の係累にある。

 

本作に3人の子供が登場する。夫々の子供達の性格を描き分け、一人一人と逃げないで真正面から子供目線で語り合う、その交感度合が「スタンバイミー」ととても似ている。

 

ややもすると、未知への憧れや不思議さへの憧憬などの大人が忘れがちな子供の心の中にグイグイ入って行く、世捨て人みたいな元作家の人間性が、観る者を温かくして止まない作品。

 

ライナー監督はきっと子供が好きなのだろう、子供の心の中に戻るべき現代人の苦悩の出口を見出しているのかも知れない。

 

だから本作は元作家を演じたモーガン・フリーマンの一人舞台のような作りになっている。

車椅子生活だからカメラも余り外に出ないで、セリフで持たせている。言わば3幕ものの舞台、室内演劇風。きっと製作費もかけて無いが、内容のある作品、日本映画的である。

 

彼を引き立てるバイプレーヤーがマドセンでとてもチャーミングで3人の母親として、嫌味なく

柔らかくもきちんとした子育て振りに、元作家も失っっていた感情を取り戻して行く。

 

彼女が居なかったら子供だけでは芝居は成り立たない、素晴らしい。

 

世間体やお金に囚われず、子供の純粋さを尊び、強く生きる男をフリーマンは顔の表情だけで見事に演じている。

 

車椅子に乗った黒人であろうとなかろうが、子供は差別しないで惹かれるものには惹かれていく。犬だって介護老人を差別しない。先入観で見るのは大人である。

しっかり本質を見ている人から見たら、下らない人間が何と多い事か、それもよく描かれている。

 

エンディングは出来過ぎだと思うが・・・。 

 

  

No.6

影の軍隊 1967/140 仏 モノクロ

 

J・P・メルヴィル 監督

リノ・ヴァンチェラ、シモーニュ・シニョレ、J・P・カッセル、ポール・モーリス

 

同監督の別作品「海の沈黙」は静謐な素晴らしい作品だった。敵味方なく、愛は交感されうるものだという事が、それが戦時故の自制の犠牲になったとはいえ、人間の救いだったからだ。

 

ところが本作は何の救いもない、文学で言えばゾラ風の自然主義的作品で、人間不信とパルティザンの無駄死にを冷酷に描いただけで、暗い気持ちだけが残る夢も希望もない作品。

 

それでもドイツ占領下のフランスで如何に抵抗戦線が惨めな戦いを強いられたか、多分多くの無駄死にがあっただろうという、歴史の再認識という点では成果を上げている。

 

又、監督自身がパルティザンだったのでその体験が沁みついて忘れられない一種の疵も感じた。

疵というのは、その犠牲者を従来通り英雄として描かず、地下組織も軍隊的規律が支配しているので決して美化ばかりしておられ無いみたいな、内部告発的匂いすらするからだ。

 

具体的には、密告者に対する冷酷な「処刑」がテーマとも言える作品。

密告は国家権力の拷問又は人質確保、又は生活物資の為 等によってなされる。

これは被逮捕者が自分の命を惜しむ為だから、人間の本性として完璧に防ぐ事は出来ない。

だから反対勢力が組織を守る為には見せしめとして冷酷に密告者を処刑する必要がある。

 

これは多分正論でだろう。革命時の内部抗争、ナチスのユダヤ人狩り、戦前の日本の赤狩り、スターリンなど独裁者の反政府勢力抑圧など、密告は付き物である。

 

ナチス占領下のフランスでも日常的にあったはず。

仲間を売ら無ければ娘がドイツ軍の慰めものにされるという恐怖に最高の兵士として名高い

S・シニョレも負ける。だから処刑を逆に彼女が望んだという結論になっているが、もしそうだったら自殺すれば娘も仲間も犠牲にならなかったのにと、ただ冷酷な組織という印象だけが際立った、これが影の軍隊か?

 

この作品はフィルム・ノアールとしてのサスペンス的緊張が保たれて、おりその点では極めて面白く観られる。

それに多彩な舞台が用意され、落下傘降下、潜水艦、ロンドンとの連携など、飽きさせない展開も良い。

 

意外な事に「海の沈黙」もそうだったが、ドイツ軍を鬼のようには扱っていない点も、一線を画す映画だと思う。

 

No.5

92歳のパリジェンヌ 2015/106分 仏

 

パスカル・プサドゥー 監督

 

サンドリーヌ・ボネール(母)、マルド・ヴィラロンガ(娘)

アントワーヌ・デュレリ(息子)

 

題名から想像出来ない内容だった。

原題は LA Derniere Lecon 「最後の教え」で、

「尊厳死」がテーマ。92歳の誕生祝に2か月後に死ぬと宣言して、家族が仰天。

その間の娘、息子、孫、お手伝い 達の対応の違いや慌てぶりを描いている。

 

終盤になってエンディングを予想してみたが、外れた。尊厳死は実行されたのである。

カソリックの国だから、こんな結末の作品を公開するリスクを製作者は負わないだろうと予想したのであるが、これには訳があった。

 

後で調べたら、何と実話の映画化だった。それも元フランス首相 リオネル・ジョスパン氏の実母。実話なら批判は避けられる。

 

高齢により体全体が不全となり、介護者なしでは生活できない状態になる前に、自殺の道を選ぶ、ある意味年寄が皆考える珍しくない「希望」ではある。

 

でも実際に自殺する人は殆どいないのが現実。自殺は怖いと思って止めてしまうからだ。

生物が生きようと思わなければ、種は途絶える。

 

その結果、家族への多大な負担、又は生命維持装置でベッドに縛り付けられた物体としての自分 という経過を経て初めて死ねる。困った問題だ。

 

92歳のパリジェンヌは普通できない自殺を何故出来たのだろう?

頑固もので、自分の意思は必ず通す女性という説明しかないが、そんな人は五万といるから、理由にはなら無いと思うが。

原作は娘だから、家族でもきっと分から無かったのだろう。

 

この作品では訪問医師に不眠を訴え睡眠薬の処方箋を書いてもらう。

医師も人を変えたら都度処方箋が貰えるので、薬を貯めておいて実行に移す。

我が国でもお薬手帳を出さなければ実現できそうな手順だが、誰か自殺ほう助罪にならない程度の第3者の協力は必要かも。

 

素晴らしい女性だとは思うが、真似できそうにない。

が、少しはその気にさせてくれた作品だった。

No.4

先生と迷い猫 2015/107分

 深川栄洋 監督 

           音楽 平井真美子

 

イッセー尾形 染谷将大、北乃きい、ピエール瀧、嶋田久作、

岸本加代子、もたいまさこ

 

「神様のカルテ」のヒットを飛ばした監督の作品。

多作だが平均点はイマイチで世間の評価はやや低いようだ。

だが、76年生まれだから43歳とまだ若いのでこれからの人と思う。

それを思わせるのが本作品。世間の評価に恵まれなかったが私は評価したい。

 

伊豆の下賀茂温泉近くの山に囲まれた坂道の多いある小さな町が舞台。

そこに住む偏屈元校長先生と野良三毛猫の話である。要するに小さな世界の小さな出来事を取り上げた、劇的でない平凡な日常を描いている作品。

 

これを作品迄仕上げるにはそれなりの「目」を持っているはず。

それは、日常も日々刻々と移ろっていく取り返しのつかない時間の喪失であるという意識ではないかと思う。

日常は日常と思い込んでいるだけであって、永遠ではない、失ってから初めて気付く。

そう思うと、何気なく過ごしている毎日が愛おしく思えてくる、そんなやさしい「目」だ。

 

或る日気になっていた迷い猫が姿を消した。家の硝子戸を叩いて入れてくれと言った時、どうして追い返したのだろう、と後悔するが遅い。・・。

 

日常を掬い取る映像は、カットつなぎのテンポと音楽が求められよう。

テンポはアンダンテ、音楽は先入観のないオリジナルな目立たない曲。

 

校長先生が坂道をポトポト下る場面は風物詩的だが、音楽がつくと何か劇的な展開も予想されたりして深みが増してくる。音楽の力も大きい。

 

役者では岸本加代子を挙げておきたい。か弱い小さい体に似合わず低く野太い声で「がっが」と笑う美容師が秀逸。

 

エンディングに問題があるが、それは自分で考えてみよう。宿題だ。

 

 

No.3 映画番外編 

 

現在トム・フーパー監督の「cat's」の実写版が劇場公開されている。

最悪に近い評判なので観には行かないが、せめてもと思いミュージカル版で大ヒットした主題歌をyoutubeで聞いてみた。その結果、歌詞から原作の本旨を理解したように感じたので意訳?してみた。

 

曲はやはり素晴らしいので、まず聞いた上で一緒に考えて頂きたい。 

 

 

cat’s の主題歌 「メモリー」 

https://www.youtube.com/watch?v=Pm5w7gHEtJI&feature=emb_rel_err

 

その歌詞が伝えたかったこと:

 

日の出ともに、76億人に等しく新しい一日が与えられます。

生まれたばかりの一日に何が待っているかは誰一人として知らない。

安倍さんもトランプさんも今日の株価さえ分かりません。

実は、どんな朝も常に「未知」でいっぱいなのです。

 

でも長く生きた人は過去の経験則で予測し、昨日の続きが今日、今日の続きが明日と思い込み1ヶ月を無為に過ごして、時の流れの速さに驚いたりしています。

 

果たして昨日の続きが今日でしょうか? 太陽の軌道も月の満ち欠けも、決して昨日と同じではありません。少しづつ変化しています。

それを敏感に体現して植物たちは蕾を膨らませ、葉を色づかせ命を繋いでいます。

 

陽が昇った時、生まれた時のような素直な気持ちで回りを見渡せば、微妙な変化の中で新しい発見があるかもしれません。

 

人の気持ち、対人関係も日々変化していきます。

相当の自信家でさえ変化していきます。変わらない未来なんてものはありません。

そこに希望があるのです。

 

 

人類は40~25万年前アフリカ東部に現れた・定説です。

長い間には想像を絶する困難があった事でしょう。でも存続し、繁栄の極みにあります。

何故でしょう。それは明日という未来に希望を抱き続けた為と考えます。

 

希望とは他人に言われ無くても、もともと人の心の中にあるものです。

癌宣告されても殆ど人は効果のはっきりしない手術を選ぶではないですか。

 

希望は未知の状況にのみ存在します過去に向いてた目が未来へ向けられた時、希望が現出します。

 

この歌の歌詞の中に今晩の事は思い出に預けて、明日の命を思おう と言いうのがあります。要するに、過去に囚われず、現実と未来に目を向けて「再生」の大切さを言っている。

 

毎日新しい太陽が昇り又沈み死と再生が繰り返される。厳粛な宇宙節理のなかでの自己再生。

ネコでもたった1匹だけが選ばれて天国への階段を登り再生を約束されます。大多数の猫には許され無いのですが、選ばれる事を夢見ているから生き抜ける。

 

そう、希望は殆ど叶えられないけど大きな意味があるのです。「朝、明日」同音です。「希望」を見失いがちな年寄にたいする、応援歌と受取りましたが如何でしょうか。

 

日本語訳 

 https://www.youtube.com/watch?v=pw8Xc5t8zA0

 

No.2

舞踏会の手帖 1937/130分  仏

  ジュリアン・デュヴィヴィエ 監督

  アンリ・ジャンソン 脚本

 

  マリー・ベル(クリスティーネ)、フランソワーズ・ロゼー、アリ・ポール、フェルナン    

  デル、他当時の大スター多数

 

学生の頃は単なるロマンチックな懐古趣味映画と単純に解釈し、軽く観てしまったので正直なところ殆ど記憶に残っていなかった。でもフランス映画全盛期の5大監督の一人で日本人が最も好きなディヴィヴィエの代表作の一つなので、何時か観なおしたいとは少し思ってはいたが、何か「気恥ずかしい」題名で、又余りにも有名な作品過ぎる為に、何となく先送りにしていたところ、このたびBS3でたまたま放映されていたので偶々その機会を得た。

 

そして驚いた、これは若い人には到底理解出来ない、人生の黒い縮図をオムニバスで描いた傑作だったのだ。ロマンチックな懐古趣味とは正反対の、エミール・ゾラ調の自然主義的作品。

 

窃盗を繰り返す心配な息子を持った親、夫婦仲が極端に悪く日々が地獄のような毎日を送っている人々、本人が犯罪に手を染めてしまった人などなど がこの作品を見ると この監督は人生を本当に分かっているなあ と唸るに違いない。

 

監督41歳の作品で、もう一つの傑作「望郷」(ペペルモコ)と同年で、最も油の乗り切った

時期に作られた。両作品とも脚本はアンリ・ジャンソンだから、あるいは脚本家の方がさらに年配で人生の機微が分かっていたのかも知れない。とても41歳の監督が運命の挫折を多く見聞きしていた訳でもなかろうから。

 

このぺシスティックな作品がどこか日本人特有の「無常観」に通じるところがあるので、共感を呼んだのかもしれない。

又、人生は夢見た通りとは違う方向に進むものであるという事は経験した年配者でないと理解出来ないだろう。

 

この映画では、若い時の希望を叶えた人は一人もいない。皆抜け殻みたいな人生を送っている。ただ一人故郷で理容師をして人気者になっている男に 少しは希望が垣間見えたが「マジック」ばかりして道化として世間と折合をつけているので、これも幸せではないのだろう。

 

エンディングはクリスティーネの元彼は既に死んでいたので、面影の似たその息子を引き取り育て、16歳で彼女がデビューした舞踏会に、彼も又デビューさせるくだり。

 

時間は同じ経過を辿るが、舞踏会場の雰囲気は同じではない。

 

彼女は幸せだった過去を取り戻す努力を止め、新しい人生を始めようとする。

それが救いとなって幕が下りる。

 

最後に一言、カメラワークと演出が凄い 隣の工場のクレーンが唸り建物が揺れ、雨漏りした部屋で食事をする片目の堕胎医師のひきつけ場面など、とても83年前とは思えない緊迫感がある。

 

年配者に再鑑賞をお勧めできる作品だった。

 

No.1

ティーン スピリット

   2018/94分 米

   マックス・ミンゲラ 監督

   エル・ファニング、ズラッコ・ブリッチ

   

質の良い作品を提供し続けているテアトル系映画館の一つ 角川シネマ有楽町 に入った。と言っても時間を間違って入ってしまった。

観たい映画は午前中1回で終わっていたのに、午後もやっていると勝手に思い込んで、始まってからヘンだなと気付いたが後の祭り、1200円も惜しかったので最後まで見る羽目、という次第。

237座席の中規模の劇場だが観客は8名のみ、青春音楽映画だが 皆年寄ばかり もしかして私と同じ過ちかも???。

 

スポーツ映画や音楽映画は大体パターンが決まっている。いくつかの困難を乗り越えて、ついに目的を果たすという ベートーベンで言えば第9のようなシナリオ。

 

その谷の深さが作品を決定づけるのに、本作はそれがイマイチだけに、エル・ファニング演じるヴァイオレットに対する感情移入が難しい(成功後も君は頑張ったね、良かったねと声をかけたくなる そんな感情が湧かない)。

 

尤も、コンサートの実写版と割り切ればシナリオなど付け足しなのだが。

使われている曲は既に他歌手のヒット曲らしく、それを「ラ・ラ・ランド」の音楽スタッフがプロデュース、編曲しているらしい。

強い打ち込みビートが映画館の壁を揺らすだけで多少興奮するが、最終審査で歌われる曲は迫力満点 感動させられた。吹き替え無しなら金メダルものだろう。

 

それだけの映画だった。

尚、ティーン・スピリットとは英国で開かれる音楽オーデションで視聴者2千万人の投票で決まる一大祭典という設定だが、架空で実在しない。若いミュージシャンは狙わないように、念の為。