荻虫の100映画2016年版

2016年 目標100本    12/28現在 138

 

☆4.0 ☆4.5
1943「死刑執行人もまた死す」米F・ラング 1938「我が家の楽園」米 F・キャプラ 
1948「花ひらく 真知子より」日 市川崑  1960「情事」伊・仏 M・アントニオーニ No.14
1951「夏の遊び」swe ベルイマン   1962「リバティ・バランスを射った男」J・Ford

1956「第七の封印」swe. ベルイマン

 
1963「審判」仏他No.1 オーソン・ウエルズ 

1958「巨人と玩具」日 野添ひとみ

1965「雨のニューオリンズ」米 No.11 

T・ウイリアムズ 

1961「回転」英 デボラ・カー

1974「鏡」露  No.4 タルコフスキー 

1966「仮面/ペルソナ」Swe No.5ベルイマン

1981「U・ボート」独 
1967「夜の大捜査線」米 1987「恋恋風塵」No.24
1973「愛の嵐」伊・米 ダーク・ボガード 1990「レナードの朝」
1973「スケアクロウ」米 No.15 2015「サウルの息子」No.23   
1974「チャイナタウン」ポランスキー/J・ニコルソン、F・ダナウエイ。 ロス水資源汚職 ☆3.5   

1974「オデッサ・ファイル」英・西 F・フォーサイス

1953「青春群像」フェリーニ
 

1958「黒い罠」O・ウェルズ

1974「ロンゲスト・ヤード」米

1965「バルジ大作戦」米 H.fonda 

1977「遠すぎた橋」米 s・コネリー他豪華

1971「書をすてよ町にでよ」 

1977「悪魔の手毬唄」市川崑/石坂浩司

 
1978「天国から来たチャンピオン」w・ビーティー     

 

 
1982「サン・ロレンツオの夜」伊 1975「アイガー・サンクション」米  

1981「最前線物語」No.20

1975「さらば愛しき女よ」米  

1982「センチメンタル・アドベンチャー」米

C・イーストウッド

1976「ダーティハリー3」米 
1983「細雪」日 市川崑  1976「がんばれ!ベアーズ」米

1984「廃市」日 大林宣彦

1977「父/パードレ・パドローネ」伊  

1985「once apon a time in America」

1977「獄門島」市川崑/石坂浩司

1986「恐怖分子」台

1978「冬の華」倉本聡/高倉健  
1987「バベットの晩餐会」デンマークNo.9  

1978「ダイナマイトどんどん」日文太

1993「天使にラブソングを2」米 

1983「戦場のメリークリスマス」 日、英 

1993「月光の夏」神山征二郎 No.17

1984「おはん」日 

1999「マトリックス」キアヌ・リーヴス No.16

1985「シルバラード」米

  1989「将軍家光の乱心」緒方拳

2000「日本の黒い夏」日  熊井啓

 
1990「東京上空いらっしゃいませ」日
2002「クライム&ダイヤモンド」C.スレーター 1993「エイジ・オブ・イノセンス」米 
2002「シティ・オブ・ゴッド」ブラジル  1995「ニックオブタイム」デップ

2010「ブルー ヴァレンタイン」

1999「理想の結婚」kブランシェット 

2004「ある愛の風景」デンマーク No.10

1999「グロリア」米 
2004「ヒトラー~最期の12日間~」独伊マリア・ララ  2001「友よ チング」韓

2004「空の向こう 約束の場所」アニメ 新海 誠 

2001「ワイルド スピード」米

2006「バッテリー」滝田洋二郎

2003「ラブ・アクチュアリー」米

2007「ヴェラの祈り」露 No.6

2003「ヒットラー 1」米  

2010「ザ・ファイター」米

2003「ヒットラー 2」米 

2010「僕が星になるまえに」英Bカンバーバッチ

2004「アレキサンダー」米 
2010「ツーリスト」デップ、A・ジョリー 2006「さらばベルリン」ソダバーグ  
2011「ツリー・オブ・ライフ」米 No.7  2010「海炭市叙景」日
2012「アルゴ」米 2010マザーウォーター」小林聡 
2011「プリンセス トヨトミ」 2010「犬とあなたの物語」 

2012「みなさん さようなら」日

 

2012「日本の悲劇」日 仲代達也

 
2012「きいろいゾウ」日

2010「インセプション」米 

2013「武士の献立」日

2011「ドライブ」R・ゴスリング 

2013「四十九日のレシピ」日 2011「太平洋の奇跡」竹野内豊
2013「リスボンに誘われて」No.26  
2013「100歳の華麗なる冒険」swe コメディー  
2013「ライフ」米 2012「96時間/リベンジ」  
2013「めぐり逢わせのお弁当」No.18 弁当配達業   
2014「アリスのままで」米 No.2  

 

2014「美女と野獣」仏・独 

2013「アメリカン・ハッスル」 

2014「マミー」加   

 

2014「愛して飲んで歌って」仏 

2014「マミー」加  

2014「くちびるに歌を」日 No.3

2013「ゼロ・グラビティ」米ルベッキ 

2014「サクラサク」日 

2013「私の息子」ルーマニア

2014「すれ違いのダイヤリーズ 」 No.13

2013「マラビータ」米

2014「シェフ」米   
2015「ブリッジ オブ スパイ」No.25

2013「ぼくたちの家族」日

2015「スポットライト」No.21

2014「ポンペイ」pwsアンダーソン 

2015「シンデレラ後編」伊

2014「靴職人と魔法のミシン」米

2015「岸辺の旅」日、仏  No.12

2014「グレース・オブ・モナコ 

2015「お母さんの木」日

2014「わたしに会うまでの1600キロ」米  

2016「君の名は」新海 誠 SFラブストーリー No.27

2014「NY眺めの・・」No.21

 

2014「ザ・ヘラクリス」米

 

 

 

2014「ふしぎな岬の物語」日 

 

2014「さよなら歌舞伎町」日

 

2015「マエストロ」日

 

2015「風に立つライオン」日

  

2015「日本の一番長い日」リメ 

 

 

 

2015「明烏」及び品川心中を現代化

  2015「エベレスト」米 

 

2015「父が遺した物語」米、伊

 

2016「ゆずの葉ゆれて」No.19 

 

 

  ☆3.0
  1973「ロンググッバイ」米
  2002「タイムマシン」米
  2010「アイアンマン2」s・ヨハンソン
  2011「スーパーエイト」米
  2012「クラウド アトラス」米
  2013「嗤う分身」英
 

2013 風俗行ったら人生変わった

 

2013「図書館戦争」岡田准一

 

2014「海のふた」日

 

2014「バンクーバーの朝日」日 

No.27

君の名は

 2016/107分 東宝

 

新海 誠 監督・脚本

 

絵がきれいで、音楽も良く、清涼感溢れる青春ラブストーリーである。

基本的にはジブリ路線だろう。

 

新海監督の前作「空の向こう、約束の地」は、ジブリとは違い、押井守(攻殻機動隊)のようにオリジナリティで勝負していただけに意外であり、梯子を外された感がある。

 

映画はケチをつければキリがないので、我ながらどうかと思うが一応正直に欠点を述べておく。

 

男女の心の入れ替わり、死人の蘇り、は大林宜彦監督の尾の道三部作「転校生」「時をかける少女」を明らかに借りている。(他にも似たような作品があるので、盗作とは言えないが))

 

さらに、二人は見えない赤い糸で結ばれていると言いう昔からの表現や、最近ロシアに落ちた大隕石の大きな穴、東日本大震災を思わせる災害風景などの絵、記憶が消えるというのもひと昔前の映画の流行りだったし、三途の川を渡り返して生を得るのは古今東西の神話の定番、

要するに、本作品は借り衣装で作られているのだ。

 

にも拘わらず本作が国際的にも大ヒットを飛ばしている理由は何なのだろう。

それは借り物だらけでも、その組み合わせ方が絶妙な為に大きな効果を生んだと言うことだろう。これも又、才能に違いない。そう言えば絵画も音楽も先人のマネみたいなものは珍しく無いのだから。

 

人は毎日夢をみて朝目覚めて忘れてしまう。でも意識の深層には残っているのかも知れない。

東京に憧れ、イケメンと恋をしたいと思っている三葉(ヒロイン)は全国に居る。都会で人間関係で悩み田舎の大自然に逃げ隠れたい瀧(ヒーロー)も多い。

それらの夢同士が、sfだから心が入れ替わることで結びつく。

これはsfでは無いかも知れない、朝の夢は本当は現実で、現実が夢なのかもしれない。

そうだ、生きる希望が湧いてきた。その向こうには赤い糸で結ばれた、たった一人の約束の人はがいるのだ・・・・。

 

映画館を出ると、何か空しい気分にはなるが・・・・。 

 

No.26

リスボンに誘われて

   2013/111分 独・スイス・ポルトガル catv

 

ビレ・アウグスト 監督

パスカル・メルシュ 原作

 

ジェレミー・アイアンズ(主役の高校教師)

ジャック・ヒューストン(アマデウ)

メラニー・ロラン(エステファニア)

 

まずポルトガルの現代史を簡単におさらいしておこう。

スペインの独裁政権は有名だがポルトガルの場合あまり知られていない。1926年にメンデス将軍らによって軍事クデターが勃発、以後サラザールによる独裁政権が長く続いた。ようやく1974年のカーネーション革命(無血)により民主化が実現したが、その後も政情が暫く安定しなかったが近年は社会主義色が薄れ、左派と社民系の2大政党で安定的に推移している。大きな目で見ればブラジル独立により植民地権益を失い、国内が疲弊し混乱を来し軍事政権となったが、独裁政権も大地主などの旧勢力を基盤として、産業の近代化に後手を踏んだ結果、ヨーロッパで最も遅くまで独裁政権が続いた(48年間)という、言わばヨーロッパの後進国である。

 

この独裁政権はPIDEと呼ばれる悪名高き秘密警察で革命分子を徹底的に弾圧した。

この映画は1968~72頃のレジスタンス運動内部の、友情、恋愛、などをPIDEの恐怖体験とからめて、描いている。

 

ただ単に史実を追っているのではなく、1冊の本に書かれた作者(アマデウ)の魂の光に導かれて、ベルン➡リスボン➡サラマンカと旅をするので、その本の文章朗読がかなり随所にあり、その言葉がなかなか意味深く作品の影を作っている。

その意味では、普通のレジスタンス作品とは趣を異にする。

映画としても一流の俳優を使うなど力作だが、やはり脚本の力の方が大きいのではないか。

(原作はベストセラーらしい)

 

エンディングは自分で想像出来ように省略形、気にはなるが・・・。

 

No.25

ブリッジ オブ スパイ

   2015/142分 米 dvd

 

S・スピルバーグ 監督

I・コーエン、J・コーエン 脚本

 

トム・ハンクス(ドノヴァン)、マーク・ライランス(アベル)--oscar助演男優賞

 

1960の米軍スパイ機u-2の墜落による、スパイ交換交渉担当弁護士の活躍を描いた力作。さすが退屈させない監督手腕は見事。少し太ったT・ハンクスと痩せたソ連スパイの演技合戦、ライランスの方が勝ったようだが。

No.24

恋恋風塵

1987/110分 台湾 dvd

 

ホウ・シャオシン<候 孝賢>監督

音楽 チェン・ミンジャン

ワン・ジンウエン(ワン)、シン・シューフェン(ホン)

リー・チィエンルー

 

ワンとホンの故郷は鉱山の街「九份」。

緑も深いので辺境を思わせるが、意外と台北の近くで港町「基隆」の近くにある。

石作りの階段坂道が村を縫っていて(これは旧統治時代に藤田組が作ったもの・・金の採掘で賑わっていた)、かつて景気の良かった頃の遊興施設などの残滓を見ることのできる、どこか懐かい昭和?の雰囲気を漂わせている町。

同監督の「非情城市」の舞台にもなった。

この街の雰囲気がこの作品を際立たせている。

 

この田舎町と大都会台北との行き来で画面が進行するが、それは通過するトンネルでイメージの切り替えが行われる。

 

監督は鉄道マニアかも知れない、線路とか信号機とか列車の内外、プラットホームが愛おしく撮影されていて美しい。又、それが「移動する」という感覚の暗喩となっている。

 

これは淡い青春映画である。

脚本家の自伝らしい。

誰しも青春があり、初恋がある。

振り返る時、それは懐かしく、自己への愛おしさが募るものだ。

そんな心の動きを見事に映像化した傑作。

 

一貫したテーマは「風」。

全ての物は移り変わるという仏教的な諦観。

移ろいの中で、変わらぬ故郷の緑と素朴な繰り返される日常が際立って美しい。

 

私は小津の東京物語のエンディングを思い出だした。

「あいつがのうなって、日が長ごうなりました」

本作は

爺は畑で失恋の痛みが癒えないワンに慰めとは無縁の日常を語る「今年はサツマイモは出来が悪い、芋は薬草人参より難しい」何度も何度も。

 

候監督はゆっくりした語り口で、独特のテンポで、説明を殆どしない。

それでいて深いことを伝えてしまう。

国際的に認められた人だが、日本人の感性にぴったりの人だと思う。

特に、本作を嫌いな日本人は居ないだろう。

嘘もなく、それでいて優しさのある優れた作品と思う。

 

 

 

No.23

サウルの息子

2015/107分  ハンガリー dvd

 

ネメシュ・ラースロー監督(ニーチェの馬の助監督)

ルーリブ・ゲーザ(サウル)、モルナール・レヴェンラ(アブラハム)、ユルス・レッチン(ビーダースン)

 

アウシュヴィッツ第2収容所 ビルケナウ の話である。目をそむけたくなる場面が多いので、気の弱い方にはお勧めしない。

 

この作品を理解するには、ある程度の予備知識が必要である。

① 原作はある記録から書かれた。

それはこの作品のテーマとなっている「記録」のことである。写真機を盗み撮影し、それを土管に隠す場面がる。さらに囚人の幾人かは克明に日記をつけている。

 

実は、ナチはユダヤ人を抹殺した後、全ての書類を焼き、収容所を灰にして、何も起きなかったように完全隠ぺいする計画だった。

 

このままでは、自分たちは歴史から抹殺されると思った彼ら(ゾンダーコマンドは囚人の中から選ばれ、数か月労働奉仕をした後、殺される囚人)は、後世にこの悲劇を伝えようと必至に証拠を残そうと考えた。

 

事実、戦争が終わり、収容所の土中からは、瓶に入った記録がいくつも発見され、これが原作に使われた。彼らの想いが達成されたという史実に基づいている。

 

②ユダヤ教の知識

サウルはイスラエルの初代の王。アブラハムは旧約の最初に登場する民族の祖。

登場人物名はユダヤ教の信者を表し、ラビは死者を埋葬する神官。ユダヤ教では火葬はしない。それは正しいことをした人間は未来において復活できると信じられているからで、棺桶もなく白い布で体を包み、ラビにより土葬されるのがルール。

収容所では死体は焼却されるから、復活しない、だからサウルは少年(息子?)の死体を隠し

ラビを探し土葬することに拘る。

 

*

題名はサウルの息子となっているが、息子である、違うどちらの見方も出来る。

でも先入観なくさらりと映画を見れば息子とは誰も思わない展開、この方が正しいと思う。

では何故、息子でもない少年の埋葬に拘ったのだろうか?

それは、①、② の延長上で答えが引き出せるだろう。

ユダヤ人は全滅させられるので、この少年の復活でその血を後世に残したいという願いがあったのだ。

 

ゾンダーコマンド達は必ず訪れる自分の死の代償として、未来への希望を託す他、収容所での生活を支えるものが無かった。

 

ラストシーンでポーランドの少年が現れるが、サウルは彼にユダヤ少年の復活の白日夢を見たのだろう。にっこり笑った後に、悲しい銃声が聞こえて 終わる。

 

サウルの息子というのはサウル王の息子即ち、ユダヤ民族の末裔たち(ゾンダーコマンド達)

も意味しているのではないか。

 

 

No.22

ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります

 2014/92分 米 dvd

 

リチャード・ロンクレイン 監督

モーガン・フリーマン、ダイアン・キートン

シンシア・ニクソン

 

原題は 5flights up。

マンハッタンからブルックリンに通じるウイリアムズバーグ橋を渡った際にあるアパートの話。

この建物は古いのでエレベータが無い。

ここの5階に住む老夫婦の話である。

 

階段の上り下りが大変なので、売ってEVのあるアパートに引っ越そうとするが、不動産屋や下見見学者を交えた一大狂想曲に巻き込まれほとほと困惑、ようやく我を取り戻し、このままで何が悪いと開き直り、売るのは止めるという話。

 

仲の良い老夫婦の景色を描いた地味な作品といえばそうだが、それにしても表面的な描き方で深みがなく絵に書いた作り物の匂いがした。

 

これでほのぼのしたと言う人もいるだろうし、NYのこのあたりの町の匂いがよく出て良かったと言う人もいるだろうから、評価が分かれる作品ではある。

 

ダイアン・キートン 70才だが眼鏡が良く似合う素敵なおばーちゃん さすが!

 

 

No.21

スポットライト

 2015/128分 米 dvd

 

トム・マッカーシー 監督

マイケル・キートン(ロビー)、マーク・ラファロ(レゼンデス)、レイチェル・マクアダムス(女性記者)、りーヴ・シュレイバー(バロン)

 

2016年のオスカー受賞作(作品賞、脚本賞)

 

based on actual events の但し書きがあるので、カソリック教会内部の性犯罪の多さと隠ぺいの実態にショックを受けた。物凄い暴露映画である。

ネタバレしてはいけない作品なので、多くを語れないが多くの人に見てもらいたい(tutayaの新作)。

 

但し、映画としては退屈は免れないことを追記しておく。

 

教会だけでなく、軍内部等 表に出にくい性犯罪はかなりあり、犠牲者も少なく無い。

いや、一般社会での犯罪の多くの部分は、男の性欲から発していることをを考えると逃げないで、社会全体で考えるべき重要問題と思う。

 

No.20

最前線物語

 1981/110分 米 cs

 

サムエル・フラー 監督

リー・マーヴィン、マーク・ハミル、ロバート・キャラダイン

 

傑作なのか、駄作なのか分から無いうちに進行し、終盤の盛り上がりでやっと、これは大した映画かも知れないと思わせる作品である。

 

構成が音楽でいう「ソナタ形式」になっている。

提示部で第1次大戦の終結時間を知らないで敵を殺す場面を持ってきて、展開部では第2次大戦の激闘を戦争アクション風に描き、再提示部では同じ場所での2次大戦での、1次大戦での同じシュチエーションを持ってきている。

 

エンディングでこの作品の真意がわかるように作ってある為に、提示部、展開部が捨て石的な描写、即ち無表情な表現になっている。

だから主人公のリー・マーヴィンがどのような人物なのかさっぱり分から無いまま進行し、戦闘場面も死が淡々と感情移入なしで冷静に描かれているだけで、ドキュメンタリーのように見える。中盤までで見応えのあるのは戦車の中のお産ぐらいなものだ。確かにこれは素晴らしいアイデアだが。

 

ところが、再提示部では様相が一変する。

ここで、軍曹の心の中が初めて晒され、人物像がはっきりしてくる。

軍曹が人間の残酷さにことばを失い、死にゆく少年を肩車して看取ってやるシーンが、それまでのイメージと対比され、見事な心惹かれるエンディングを醸している。

劇中、軍曹(主人公)が部下にこんなセリフを言う。

部下「戦争は人殺しと同じだ」

軍曹「いや殺しだ。牛や豚を殺人とは言わないだろう?」

 

戦場では、敵を人と思うなと何処の国の兵隊も教育される。最初の殺しはショックでも、次第に平気になっていく。狂気が日常化し、人間らしさを失わない兵隊が虐められる。そんな場面もある。

 

この監督は最前線にいた経験を作品に活かしたらしい。

ぱさついた独特のタッチはそのせいか?

何処か覚めた目線が気になる。

 

No.19 ゆずの葉ゆれて

     2016/95分 日

     16.09.05 有楽町スバル座

 

神園浩司 監督 佐々木ひとみ 原作

松原智恵子、津川雅彦、西村和彦

 

この劇場は初めて訪れたが、駅前の有楽町ビルの2fにある270席の立派な劇場だ。こんなマイナーな作品をかけるには大きすぎて、先行き心配な気持ちにもなったが。

 

作品内容は、津川演じる不器用な愛情表現しかできない薩摩男児とその妻との実は深い絆で結ばれたラブストーリー。

引っ込み思案な少年を通して、メルヘンチックに仕上げている。

油彩というより、水彩画のような作品。

 

でもこの作品に関する限り私は厳しい、何故なら私は鹿児島市出身で、舞台となっている喜入町は隣町だから、地元としてもっとレベルの高い作品を期待するからだ。

 

*方言がでたらめ(俳優の勉強不足)

*結婚30周年の記念の場面で、夫は精々60才前後と思われるのに、津川がそのまま演じているので、不釣り合い。もともと松原と津川は年が離れ過ぎている、キャスティングのミスと言わざるを得ない。

*予測のつく展開というか、新鮮さが全くない脚本で、教科書的で無難すぎる。

 

以上

 

No.18

めぐり逢わせのお弁当

  2013/105分 印・仏・独

 

リテーシュ・バトラ 監督 脚本

イル・ファン・カーン(サージャン)、ニムラト・ウウル(イル)

 

ムンバイでは温かい弁当を食べる為、昼直前に弁当を家から職場まで運んでくれる職業の人がいる。

タッパーワイラーと呼び誤配は600万個に1個という誇り高い専門職。

 

サージャンは定年退職間近の謹厳実直な経理マンで妻を亡くして独身。イルは夫が浮気中で夫婦仲は破綻寸前。

妻は夫の心を取り戻そうと、腕に自慢の弁当を作って配達人に託すが、これが誤配。

 

話は誤配のまま、添えた二人の手紙のやり取りで進展する。

次第に距離が縮まり、会いたくなった二人は喫茶店で待ち合わせる。

この場面が最高にいい・・・・。

 

ラストの解釈が難しいので私見だが参考に:

イルは夫と別れる決心をして、お金より幸福度を重視するブータンへ旅立つ。

サージャンは頼りない後輩を教育した後、退職しブータンへ一度は引っ込んだものの、やはり妻の思いでの残るアパートに戻ってくる。

 

若くて将来に希望を持ち行動したイル、老いて思い出の中に埋没するしかないサージャン、

心は通じ合っているが、二人は一度も顔を合わせることもない不思議なめぐり逢わせのまま映画は終わる。サージャンの孤独が身に染みる佳作であった。目立たない映画だが。 

 

No.17

 月光の夏

  1993/112分 日  catv

 

神山征二郎 監督   原作 毛利恒往

渡辺美佐子、山本圭、滝田裕介、田村高廣、仲代達矢、田中実、永野典勝

 

ドキュメンタリー タッチの作品である。

タッチとはドラマとドキュメンタリーの中間という意味。

その分、「これ本当なの」という疑問を受けやすく映画としては成功とは言い難いし、戦闘機など模型丸出しで嘘っぽさを上塗している。

 

しかし、感動を呼ぶ極めて稀なテーマなだけに、大いに泣かされること間違い無い。

明日は死が待っている特攻隊員が、どんな思いで「月光」を引いたのだろうか、私は佐久平にある「無言館」の美術学校生のことを思い出した。

 

自己のアイデンティティを残してこの世を去りたい、それまでの人生の総括をかけた内からなる欲求に人間の崇高な魂の叫びが聞こえる。

 

その音大生は空に散り、譜めくりの同僚は生き残った・・・・原作で明らかになった振武寮の存在など、その後のドキュメント探しは必ずしもこのテーマと繋がるものではなく、反戦という意味付けを弱くしてないか、要するにドラマとしてはもっと絞るべきであろう。

 

しかしこれは実話である。

多くの国民が知るべき事実、映画化によってその目的はある程度果たせた。

 

今年一番の泣ける映画だった。

出來はさておき、多くの人に是非見て欲しい作品。

 

No.16

マトリックス

  1999/136分

 

監督 アンディー&ラリー ウォッシャウスキー

 

キアヌ・リーヴス、キャリー=アン・モス

 

SFアクション映画。電話boxで変身できたり、本人と同じ人物が別におりそれが外で戦ったり、かなり進化した未来が舞台乍ら、武器は機関銃や空手、カンフーなど旧式で訳の分から無い設定である。極め付きは、死んだと思われる彼氏に彼女がキスをすると生き返るとか眠れる森の美女ばり。

特撮の魅力だけの作品。

ただ近未来予測のヒントみたいなものがある。

「攻殻機動隊」でも感じたが、この映画の中で、ヘリの操縦技術がない男がそれを操縦しなければいけない場面で、本部から頭部にそのマニュアルを伝送する場面があり、すぐ操縦できるようになる。

 

コンピュータへのインストールと同じように、未来は人間の脳に情報を外部からインプット出来る可能性はあるのではないか?

そうすれば、外国語の習得など苦労することは無いし、それをうまく利用し全人類を洗脳し、戦いの無い世界を実現できるかも知れないなどと、夢見てしまう。(逆もあるから駄目かな)

 

AIの進化で人間化したロボットと人間の戦いという新しくもないテーマを新鮮に見せる映像技術はさすが、オスカー受賞作だが。

 

No.15

スケアクロウ

 1973/113分 catv

 

監督 ジェリー・ジャッツバーグ

ジーン・ハックマン(マックス)、アル・パチーノ(ライオン)

 

二度目の鑑賞である。

初回の感想文は2012版に掲載したので、下記転載しておく。

ちなみに、初回は☆4.5、今回は☆4.0

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荒野をさすらい歩き、やっと辿りついた着いた小さな町のカフェ。

知り合ったばかりの二人がカウンターに並んで粗末な朝食を食べている。

図体のでかい男の方が呟く。

「俺は本当に下らない男なんだ

人を信用しないし 誰も愛したことも無い

ただケンカだけは負けたことが無い」

この男はマックス(ジーン・ハックマン)、刑務所から出てきたばかりでいつも喧嘩ごし、自分が抑えられない。

もう一人はライオン(アル・パシーノ)、小柄で人を笑わすことが好きな理性派。

5年間船に乗っており、これから妻の居るデトロイトに向かう。

ひとときも子供へのプレゼントである電気スタンドを手放さない。

この二人が色々な事件を通して、親友になっていくロード・ムーヴィー。

******

若くして両親を亡くしたり生き別れなどで、その後ほぼ自分一人の才覚で生き抜かなければいけない人生とはどんなものだろうか。

まず、身を守る為に絶えず他人を警戒しなければいけないから、他人を信用しない習慣がついてしまう。

信用しないから愛せない、愛さなければ愛してもらえない。

親に十分に愛されなかった人間はなお更である,愛し方が分からない。

しらずしらずの内に、自分にバリヤーを張っている。

でも、世間と離れては生きていけない事も知っているから、何とか係わり合いを持とうと努力する。

それは往々にして、陳腐な行動をとる。

マックスの場合「ケンカ」。

ライオンの場合は「他人を笑わせる」こと。

***

このような男達は見かけは、ヤクザっぽかったり、ピエロっぽかったりしているが、実は「孤独で淋しくてたまらない」のだ。

だから「愛」に理想を描いている。

何時か誰かに愛されたい、そして愛する人の為に犠牲になっても良いとさえ、思っている。

***

では、マックスやライオンは特別な人達だろうか。

歴史を遡れば、大勢の親族に囲まれ周囲の愛の中で育った時代が去り、現代は核家族となり、隣はなにをする人ぞの「個の時代」になった。

結果、現代人は皆孤独の影を宿し、他人との距離のとり方に苦慮しているように見える。

若い頃は「お金」とか「地位」とかに夢中になり走ってきても、晩年になってふと「愛」の無い自分に気付く。

人は人から存在を認められて初めて喜びを感じる動物らしい。

***

こんな可哀そうな二人に、ついに神様は信頼できる友達を見つけてやった。

無骨で不器用な愛の表現だが、相手のために必死だ。

これが何よりほっとする、誰にでも人生には救いが用意されていものらしい。

***

マックスはピッツバーグで洗車業を始めるのが夢、周到に計画し、その為に刑務所で働いたお金を全部ピッツバーグの銀行に貯金してある。

いよいよデトロイトまでたどり着き、もう一歩と言うところでライオンを悲劇が襲う。

マックスが毎晩枕にしていた靴の裏には10ドル紙幣が隠してあった。

カウンターで靴を脱ぎ、デトロイトからピッツバーグまでの汽車賃「往復」27ドルを払うマックス・・・・・。

粗野な男の珠玉のような友情が、いっぺんに表出し言葉を失うラストの美しさ。

全体的に地味だが、ハックマンの抜群の役作りもあい俟ち、名画とよぶに相応しい作品だった。

 

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前回の鑑賞文は恵まれなかった生い立ちに同情し、マックスの粗野さを孤独感の代償として許したのだろう。二人を愛しく書いた。

でも良く考えると、ライオンは冗談好きで、笑顔を絶やさないから、誰からも愛される人物のはず、孤独のはずはない。ただひたすら善良なだけだから何時も悲しい思いをさせられる。

 他人を疑うマックス(靴に紙幣を隠している)、いつも他人を笑わせようとするライオン。

体が大きく暴力的な男と小さく平和的な男。

誰しも、マックスなんか相手にしないで捨ておくだろうが、ライオンは彼から逃げずに助けたり抑えたりして、寄り添っている。どんなに我儘な人間にでもである。

それが、最後はイソップの北風と太陽みたいな寓話になる。

 

この作品はライオンにキリスト教的な香りを今回感じた。

ただキリストみたいに強い心は持っていないから、その清純さ故狂人になってしまうエンディングが余計切ない。

 

ジーン・ハックマンの演技はただ事ではない。何度見ても凄い。

 

 

 

No.14

情事

 1960/141分 伊・仏 catv

 

監督 ミケランジェロ・アントニオーニ

 

モニカ・ヴィッティー(クラウディア)

ガブリエル・フェルゼッティー(サンドロ)

 

56年前の作品である。

行方不明のアンナの捜索が不明のまま、突然映画が終わること、さらにエンディングの意味が全く不明ということで、カンヌで大騒ぎを起こした、いわくつきの作品。

(結果、新しい映画言語に対する賞/審査員賞は受賞したが)

謎解き 1:

アンナの捜索が未完のままだというのは、アンナは人ではなく「愛」の象徴として考えると、愛は突然終わり、戻ることは無いと解釈できるという説が信ぴょう性が高い。

 

謎解き 2:

定説が未だないので、仮説を立てておく。

サンドロは恋人のアンナが消えて探し回っているが、ともに捜索旅行しているクラウディアに心を奪われた。人の心は簡単に移り変わるということ。さらにクラウディアとラブラブ捜索旅行中にも拘らず、クラウディアは禁欲的なところがあるので、サンドロは売春婦を買ってしまう。愛は性欲にも負けたということ。

 見つかってしまいサンドロは何故涙を出したのか、新恋人を失うという寂しさや己の勝手さ加減に対する懺悔の涙ではあるまい、それはきっと「愛」は信じるに足りない仮想の存在だったことが分かってしまい、彼の人生の基盤が失われたからではないか。いわば人生絶望の涙。

 

でも、露見してもクラウディアに怒って去る様子は見えない。涙のサンドロの肩に手を置いて映画は終わる。クラウディアはもしかして、女神の設定かも知れない。

 

***

愛の不毛説は今日常識化し特段のショックは受けないが、当時世間に映画を通して広く投げかけた意味は大きい。

 

アントニオーニは才人である。彼のカメラワークは見事、ロケ地の設定も凝りに凝っている。モノクロで独特の世界を醸し出して、自然でさえ造形に見える。

更にいえば、ファッション。

モニカ・ヴィッティーがヴィーナスに見える。今日尚、古臭く見えない抜群の衣装、はっとする画面展開、切れる人、才人であったとあらためて思う。 

 

No.13

すれ違いのダイアリーズ

  2014/110分  タイ  シネスイッチ銀座6/7

 

監督 ニティワット・タラトーン

スワリット・ウイセートケーオ(ソーン)

チャーマン・ブンヤサック(エーン)

 

経済面においては先進国と途上国の差が大きいが、映画の世界では製作費こそ大きな差があるものの、質と言う点では逆に凌駕しているのも少なく無い。タイも「ブンミおじさんの森」に次いで本作を海外に送りだし好評、野球でいえばシングルヒットの連打という感じだ。

 

 我が国も終戦直後溝口や黒澤の作品が続けて海外から評価されたが、殆ど時代劇が中心。外国人から見れば日本らしいのが評価される。チョンマゲ、刀など最早昔話なのだが。

 

タイのこの2作はとてつもない辺鄙な田舎が舞台(タイはかなり都市化が進んでいるのに)。

外国人はタイの田舎に、先進国ではもう失っってしまった自然と共に暮らす原始人みたいな、あるいは脱経済社会みたいな幻想を重ねて見ているのかもしれない。(チョンマゲ、刀が辺境の地に置き換わった?)

 

舞台はチェンマイから車でかなりの奥、ダム湖に浮かぶ水上小学校。電気もガスも水道も無い。害虫も多く非衛生、水洗?トイレの下に人の水死体が浮くなど、生活環境最悪。

生徒は5~7人で土日家に帰るが、それ以外は共同生活。

 

まずこの水上生活という舞台に興味をそそられる。人間どんな所にも住める、逞しい。

子供たちと生徒の関係は24の瞳の焼き直しみたいだが、過疎進行中という設定が新しいテーマを提供している。

僻地教育は医療と共に嫌われるのが普通だが、本作はこんな所でしか許されない全人教育に真の教育があると敢えて志願するエーンと許嫁教師の効率教育理念の違いがテーマになっている。

 

若い女性の僻地志望など現実には絵空事かもしれないが、教育を待っている子供たちが居るというのも現実で、行けば可愛い子供たちとかけがえのない時間を過ごせるというのも救いには違いない。

 

日本は国民平等に義務教育が受けられ、その水準も維持されている世界NO.1の教育国である。

程度の差こそあれ、エーン先生やソーン先生みたいな先生が僻地で頑張ってくれているはずだ。行き過ぎた都会の受験目的の教育ではなく、自分の生活向上のため、できれば他人の為に尽くせるような教育をきちっとしているのが、このような人達かも知れない。

 

本作は、まだ見ぬ人同士の「すれ違い日記」を介したラブストーリーである。それも斬新なアイデアだが、凛としたエーンの生き方に共感を覚え、誰しも少しは泣けると思う。

 

もし私が脚本家なら、エーンとソーンは最後まで顔を合わせないようにするが、どうだろう。

誰が考えても、二人のレベルは違い過ぎて、共同生活はうまくいかないと思うから・・。

 

教育とは何か、そんな根源的な事を考え直させる佳作ではあった。

 

No.12

サン・ロレンツオの夜

 1982/107分 伊 BS

 

監督

パオロ・タビアーニ / ヴィトリオ・タビアーニ

 

オメロ・アントヌッティー、マルガリータ・ロサーノ

ミコル・グッディリ

 

サン・ロレンツオ は8/10の守護聖人。

その日の夜にトスカーナ地方の小さな村がアメリカ軍によって解放された・・・。

 

まずはイタリヤの近代史をおさらいしよう。

イタリヤは先の大戦までは王政で(1945に共和制)、1922年ムッソリーニも王政下でファシスト政権だった。当然ファシズムに対する国民の反発は強く、武力でこれに対抗する勢力を「パルチザン」と呼び、かなりの国民が支持していた(今日一般名詞として多様に使われてはいるが)。

 

要するに、戦時に置いてもイタリヤは一枚岩では無かった。

だから、連合軍(米軍)が進攻してきても、抗戦するどころか、救ってくれる人たち思い、米国側に逃げ込む人がいたらしい。

この映画は、そんな人たちが主人公である。

 

敗戦濃厚な1944年8月、ドイツ軍は村を破壊しつつ撤退中で、村民のことなど邪魔扱い。

そんな状況下、食料も乏しく自滅の道を強要された村民の一団が、迫って来た米軍に保護を求めて集団逃亡を始める。

 

でもそう簡単に事は運ばない、それを阻止しようとするファシスト支持の民兵が組織されており、顔見知りの村民同士が殺し合うという悲劇が始まる。

 

戦争は残酷だ。例えば村の教会に人を集め、爆薬で皆殺しにするドイツの敗走作戦の犠牲になった身ごもった妻と夫の話とか、恋人同士、友人同士の死別など、かなりの悲劇が描かれている。

 

しかしこの映画は、この悲劇を淡々と、むしろ水彩画のような軽いタッチで描いているところに特徴があると思う。

実った麦畑の中に乾いた銃音がパンパンと響き、人がぱったり倒れる。人はまるで人形のようだ。死は特別視されない日常そのもの。それが却って観る者に戦争の恐ろしさを訴えかけて止まない。

 

イタリヤの田舎ではカソリックの熱心な信者が多いらしい。登場するのは神様を疑ったりしない純朴な村民ばかりである。貧しいが心の結びつきが強い。豊かだが心がバラバラになった今日、監督が古き良き時代を偲んだとも見て取れる。

 

この兄弟監督は1977に「父/パードレ・パードローネ」を撮って賞を取っている。

(主役は本作と同じアントヌッティー)

これは父と息子の葛藤をテーマにした作品だったが、草原の中で一人で暮らす「羊飼い」の生活実態などに驚かされたが、「性」の扱いが露骨すぎて好きになれず☆3.5にした経緯がある。

 

本作は露骨と真反対なタッチで一歩引いた作風に変っていたので、驚かされた。

 

本当に可愛い女の子が出てくる(ポスター参照)。 

この子が成人して昔を語る設定になっている。

 

トスカーナ農民の匂いが漂う佳作。 

No.12

岸辺の旅

2015/128分 日、仏 dvd 5.2

 

黒澤 清 監督

湯本 香樹実 原作

 

深津絵里、浅野忠信、小松政夫

 

その人は死んでしまったのに、あたかも生きている時と同じように、会話が出来る(意識の中で)ものだ。

もう居ないはずの親や恩師から具体的なアドバイスを受けることがあるのは、誰しも経験していることではないか。

その意味では、人の死はリアルではない。正確には人の記憶の中に残っている限り死なず、誰の記憶からも消えた時に本当に死ぬのだろう。

 

この作品はその意識を、亡霊と旅をすることで表現している。こう言う視点が独特なので(カンヌ、ある視点監督受賞)、原作者の本を図書館から2冊借りて読んでみた。

「くまとやまねこ」(絵本)「夏の庭」(stand by meをオマージュした小説)、どちらも児童文学で,死を見つめることによって生の意味を探している。

愛する人を失った哀しみから、その死を忘れるのではなくそれを土台として再生していくという点でも共通している。

 

実はこの視点は独特なものではなく、仏教的な思想でもあると思う。

なのに、彼女が多くの人に支持されるのは、やはり女性らしい独特の「やさしさ」に読者が癒されるからではないか。

「夏の庭」のエンディングだが、独居老人の枕元には四房の赤いぶどうが皿に盛られていた、今日もあの悪ガキ3人が遊びに来るだろうから、一緒に食べようと本人が用意したのだろう、しかしその瞬間は永遠に来なかった。死人は怖いと常々思っていた少年達が、泣き叫び抱きついて、乾いた唇にぶどうを押入れて「死」を初体験する。

 

余談だが、先月観た「きいろいぞう」(原作 西加奈子)に女性の嫉妬の奥深ささが印象強く描かれている。偶然だろうが本作にも女性の嫉妬の根深さが表現されている。

またまた、それぞれのヒロインの性格も「思い込みが激しく」「嫉妬心が強烈」な点 よく似ている。双方とも女性作家だから、女のある面の本質を吐露しているのかなとも思える。

 

***

 

世の中には、ロス症候群の人がいっぱいいる、現実に背を向けて過去と暮らしている。

死は終わりではない、早く再生して欲しいと願う。 

 

No.11 

雨のニューオリンズ

1965/110分   米  catv 4.28

 

シドニー・ポーラック 監督

テネシー・ウィリアムズ 原作「財産没収」

フランシス・フォード・コッポラ他 脚本

 

ナタリー・ウッド(アルバ)、ロバート・レッドフォード(オーエン)、チャールス・ブロンソン(J・J)

ケイト・リード(母)

 

テネシー・ウィリアムズが好きな人はこの作品を評価するが、一般受けしない作品ではないか。

アメリカ南部の蒸し暑い小さな町が舞台で、不況で住民の心は荒んでいる。母は娘を金持ちの妾にして一家を守ろうとするので、アルバと諍いが絶えない。希望の見えない絶望の設定である。こんな状況では人はありもしない想像の中に逃げ込むのかも知れない。アルバにとってそれは優雅なホテルでの食事とか、華やかなニューオリンズの町であった。そこに鉄道員リストラ役のオーエンが登場、一条の光が差したのだが・・。

 街一番の美人でモテモテ、遊びもするが、この夢見がちな乙女心がキラキラと輝くナタリー・ウッドの大きな瞳ではじけるように演じられて印象的だ。男をかなり知ってはいるが、子供のような綺麗な心を失わない女性。対照的に男にだらしないだけでなく、心まで堕落している母親。T・Wは荒んだ生活の中で、傷つき往く心を静かに見つめているが、出口を示さず、大体悲劇で終わる。。

本作のアルバも骨は集団墓地に捨てられる。

でも、暗い結末故かも知れないが、主人公に対する愛おしさが止まないのは私だけではないだろう。

 

妹がレールの上を落ちないように歩く遊び、最後で毎回落ちるという下りが、効いている。

 

p.s 原作を読んでみましたが、登場人物はアルバの妹とその友達だけで、二人の会話の中にアルバが簡単に語られているだけ。チャールス・ブロンソンやレッドフォード役 は脚本上の人物で、ほとんど創作劇でした。

 

No.10

ある愛の風景

 2004/117分 デンマーク dvd 4.7

 

スザンネ・ビア 監督

コニー・ニールセン(サラ)、ウルリク・トムセン(ミカエル)、ニコライ・リー・コス(ヤニック)

 

映画の作りは凡庸で、見るべきものは少ないと感じたが、題材が衝撃的で、その社会的インパクトを考えると、極めて意味ある作品である。

 

タリバンに捉えられた二人は、拷問を受け、片方は精神的に限界にきている。タリバン側もこいつはもう役に立たないと判断、処刑すべく牢から二人を出しミカエルに殺しを命令する。要するに仲間殺しの強要である。そうしないと彼まで殺されるという限界状況の中で彼は自己愛に負けて、殺害してしまう。

 その後、援軍が来てミカエルは帰国するが、自己嫌悪で精神が侵されていく。

彼がその後立ち直ったかどうか分から無いが、なかなか困難な道のりが予想され、鑑賞者まで苦しくなる。

このように、手を下した側まで極端な場合は廃人にできるので、タリバンは敢えてこのような処刑方法を取るのだろう。残忍な方法だがこれは架空の話では無い。他にも実際にあるはずだ。

君ならどうする、という問いかけがなされた気がした。

*深刻な作品だがサラが明るく美人で好感度高く、救いになっている。

*その後、ハリウッドでマイブラザーという名前でリメークされた。

No.9

バベットの晩餐会 

  1987/102分 デンマーク BS 3.16

 

ガブリエル・アクセル 監督

カレン・ブリクセン 原作

 

ステファーヌ・オードラン(バベット)

ビルギッラ・フェダース(姉?)

ボディル・キュア(妹?)

ビビ・アンデショーン

 

1987 オスカー外国映画賞

 

 

ユトランド、対岸はすぐスエーデン。この映画には晴れた日は全く登場せず、絶えず霧が立ち込め、寒々としている。冬の裏日本みたいに、多分一年中どんよりと曇って陰鬱な気候なのだろう。

土地は痩せており、木も生えてない荒地が続いている。そんな辺境の小さな部落の話。

そこには、貧しいながら敬虔なクリスチャン姉妹が慎ましく暮らしている。

 

毎日善行(福祉)に精を出し、今は無き牧師だった父と同じように自宅で皆を集め、教会の役割もしている。若いころ二人とも評判の美人だったから、姉妹見たさに人がわんさ集まって来て、いろいろ仕掛けたが、姉妹は神の教え通り、自己を抑制し恋愛感情を抑えてきた。

 

今、そこにはバベットという家政婦が居る。貧しい家に家政婦が何故?という謎解きで映画は進展していく。

 

色恋を避けたという清潔感、更に極めて質素な暮らしぶりと篤い信仰心。

神から見れば文句のつけようがない理想の人生。

でも、姉妹が自己抑制的すぎて、私には悲しさが募った。

女なら、男を思う気持ちがあって、それに素直で良いのではないか・・・。

 

そこに、バベットの超豪華な一世一代のフランス料理が突如登場する。

贅沢な料理は、禁欲的な生活者から見れば敵なのだが、高齢者の多い信者たちは短気になり、いがみ合いが多くなったが、御馳走を食べることで絆を取り戻し、料理の持つ力を姉妹も知ることになる。

姉妹の歌同様、バベットの料理も芸術で、天国で神もお喜びなると、理屈づけているが、やはり敬虔な生活と超豪華料理の組み合わせは不似合、やや無理があるとは思う。

 

バベットが宝くじに当たった1万フランを、人生は金ではないと言って、全部信者12人に本格フランス料理を料理して使ったというのも、人生お金や出世だけではないよというテーマを説明するための材料と割り切り、映画としては調理場面が最高の見せどころだから、唐突な展開も良しとするか。

 

良く見れば、結構見せるには作品になっている。それは対照的なものが意識的に用いられていることではないかと思われる

 

華美な貴族社会と質素な生活。

名誉と出世を求める人と何も求めず与える一方の人。

 

かつて名誉を求め、質素な宗教生活の彼女から去った男は、将軍になって成功したが、死を前に何の意味も無かったと悔いる場面がある。

お金や名誉は結局は頼りにならないという昔乍らの真理は宗教の力を借りずとも、現代人がもう一度思い起こすべきこととして、オスカー側も評価し、外国映画賞を与えらたものと思う。

 

バベット役が芯が通った感じで実にいい。

 

No.8

奇跡のひと マリーとマルグリット

  2014/94分 仏 dvd 3.8

 

ジャン=ピエール・アメリス 監督

 

イザベル・カレ(マルグリット)

アリアナ・リヴォワール(マリー)

 

感動作である。

要因を探ろう。

本作も福祉修道院の話だから、まず宗教から入ろうと思う。

 

このところ、キリス宗教がらみの題材の作品がたまたま続いているので、本棚にあった聖書とその解説本などを、拾い読みしている。

浅学な自分がキリスト教を語るのもおこがましいが、何らかの納得無しでは、洋画の世界では前に進まないので、現時点の理解を恥ずかしながら語りたいと思う。

 

 アブラハムはイラクのウルという町の出身で、遊牧をしながら移動していたところ、たまたま地中海のパレスチナという肥沃な地にたどり着いた。

孫のヤコブが12人の子供をもうけ、それがイスラエルの12部族の祖になったというから、まだ国という概念ではなく、各々が独立した部族集団だったのだろう。

今でも、アラブ首長国連合という国があるくらいだから、この地域では部族長が支配していた。要するに、イスラエルの民は族長を中心とした遊牧民だった。

遊牧民は部族どうしで、諍いをおこしがちだ。何故なら羊の餌である緑地争い、水争いが生死を分けるからだ。

 

 絶えざる争いはひいては民族の滅亡を意味する。そこで、太陽とか水とかのアニミズムだけでは闘争心を制御できないので、観念的な絶対唯一神を作る必要性が生じる。

 

エジプトとかメソポタミアは大規模小麦栽培だから、灌漑や収穫時の助け合いなど共同作業を伴う。共同作業にはその旗振り役が必要で、長が出現する。この知恵者が和を乱す者、収奪する者の対策として、武装をし始め次第に強力な軍隊を持つに至り、国家を形成し王が誕生する。人民にとって王は絶対的な存在,この場合王は神に一番近い存在として、神格化される。

 

それに反し、遊牧民は国家概念が無いので、個人の上に王はおらず、神と直接結びつかざるを得ない。ここに絶対神の必要性が生じる土壌がある。

 

そうして、多分為政者側から、自然崇拝を土台にした更に人為的な「ありがたきもの」が作られたのではないだろうか。

 

宗教の目的は遊牧民同士の争いの軽減である。

 

No.7のコリント人では、「悪を行う人を思わず」とは、悪い奴が水を盗んでも殺すなという事であり、敵をも愛せよという、無償の愛が語られているのは、兎に角寛容で喧嘩するなと言う事だと思う。言わば平和主義を説いている。

 

又同時に、キリスト教は「愛」を説く宗教だと言われている。

「愛」は何かを短く言えば、利己心を捨てて、他者を慈しめ ということだろう。

貧しきもの、体の悪い者、心を閉ざしたもの、弱き子供や老人 そのような人々に対して、見返りを求めず太陽のように分け隔てなく、無償の心で接しなさい、それが「愛」と言っていると、解釈する。

 今言葉で言えば福祉国家概念を説いている。

絶えざる大国の侵略に晒され、弱小な部族国家は絶えず不幸が蔓延していたからこそ、助け合いが必要だよと、説いたものではないか。

 

 

しかし面白いことに、「愛」は一方的なことは決して無い。日本のことわざにも「情けは人の為ならず」が示すように、「愛」は何かしら重要なものを相手から受け取り、人生を充実させてくれる。

 

マルグリットはこのキリスト教の「愛」を実践し、見えない、聞こえない 複合苦のマリーに手話(手で触る手話)を教え、人間の世界へと導いた

 

野獣のようだった少女が、言葉(手話)によって変わって行く様は、言葉の何たるかを教えてくれる。又この少女の一途の愛が、マルグリットの残り少ない人生に幸せを運んでくれた。

そして続くつらい別れも又、人生の勉強なのだろう。

 

19c末の実話であるらしい。こんな修道女もいた。

宗教の力に今更驚かされる。

 

No.7

ツリー・オブ・ライフ

  2011/138分 米 dvd 3.5

 

テレンス・マリック 監督、脚本

 

ブラッド・ピッド、ショーン・ペン、ジェシカ・チャスティン

 

宗教映画である。

天地創造から今日の人間の営みまで、すべて神のなせる業と意味づけて、全編を通して「あなた」と会話している。

ヨブ記にあるように、善人にも神は災難を与える。家族は子供を失い、父は失業、父と長男の葛藤・・・。

冒頭のセリフ:人の生き方には二通りある。一つは本能のまま生きること、もう一つは神の導く道を生きること。

前者は自分のために生き、それは限度が無い。後者は自分の利益のためには生きない。

父は前者で、弱肉強食の世だから、弱みを見せず人を蹴飛ばして勝たなければいけないと、息子に強要する。母は逆だ自分を犠牲にしても人のことを大切にする。

 

皆が神の教えの通り生きたら、弱肉強食の資本主義は生まれなかったのに、やっぱり人類は本能に負けたという事だろう。

そうすると、古い父親の考え方もあながち間違ってはいまい。

行き過ぎてはいるが。

NO.6にも書いたが、コリント人の「人のした悪を思わず」と言いながら、神は最後の審判で天国と地獄に分ける矛盾。神も「寛容」ではないではないか。

 

本作から得た率直な印象は、マリックやブラピみたいな現代人もまだまだ宗教のからめ手のなかにあり、彼らの人生の一部を形成しているという、驚きだ。

 

No.6

ヴェラの祈り

 2007/157分 露 dvd 3.5

 

アンドレイ・ズビャギンツェフ 監督

原作 ウイリアム・サロイヤン(米)

映像はアンドリュー・ワイエス(米)をオマージュ

 

コンスタンチン・ラヴロネンコ(アレックス)

マリア・ボネヴィー(ヴェラ)

アレクサンドル・バルーエフ(マルク)

 

 

製作年度は観た順番は逆になったが、「裁かれるのは善人のみ」(2014年製作、100映画2015のNo.25参照)と同じ監督。

 ワイエスにインスパイヤーされたとの事だが、「絵」のような素晴らしい映像と凝ったキャメラ・ワークは冴えきっている。

2014年作も印象的な映像だったので、これが監督の才能なのだろう。

 

本作は、テンポも遅く、長いので 一般受けしないかもしれないが、大切なことを観客と一緒にじっくり考えながら進行させるという一定の効果はあるのではないか。

 

但し、ファーストシーンの容易ならざる場面展開がその後の、展開に何の意味も持たないので、カットしても良いとは思うが。

 

アレックスは自分の為に妻や子供を愛しているので、まるで道具扱いだと妻は思っている。

その為、夫婦は会話も少なく、冷え切っている。妻の心は寂しさが鬱積していく。

そこで、妻は他人の子を宿したと嘘の告白をして、夫の愛を試す。

 

コリント人への手紙 Ⅰ 13章1~8 がテーマ。

「愛」とは何か?

 

子供たちの就寝時に、コリント人への手紙が朗読される。

改めて新約を確認してみると、13章4に、愛は寛容、5には自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、7にはすべてをがまんし、すべてを耐え忍びびます と書いてある。

この神の教えと全く反対の道をアレックスは選ぶ。

その報いは悲劇的な結末を迎える・・・。

 

キリストの説く「愛」はよくは分からないが、敵でも愛せよという無償の愛だとしたら、凡人には至難の業。

多くの人が、妻が他人の子供を宿したら、アレックスと同じ判断をするのではないか。

アレックスの自己愛は反省すべきで、世の亭主族は他山の石とすべきだが、誰も責める自信はないと思う。

 

秋の刈り取りのあと、藁を農夫たちが集めている。

変わらぬ人の営み、悲劇性を秘めつつも、繰り返される日常。

アレックスは立ち直ることができるのだろうか。

ぼんやりした結末だった。

 

No.5

仮面/ペルソナ

 1966/80分 Swe. dvd 1.25

 

イングマール・ベルイマン 監督

ビビ・アンデルソン(アルマ)、リヴ・ウルマン(エリザベート)

 

No.4の鏡に似ていると言う人がいるが、全く別物ではないか。鏡は自伝で自分を規定してきた生まれ育ちへの旅。

本作は心理学を単に映像化したもの。

 

訳が分から無い映画だから、まず謎解きをする。

エリザベートの夫が療養中の別荘に現れてアルマを妻と認識することで、二人(エリザベートとアルマ)は同一人物だという事が示唆され、二人の顔半分がモンタージュされてそれが確定する。

別荘を去るのはアルマだから、厚い仮面が剥がれたという事だろう。

可能にしたのは「無」の意識。

 

もともと本来の自分、裸の自己なんて「無」いのだよ と

冒頭に提示される赤ん坊のアニメ・フィルムがそれを暗示している。

目的があって生まれたのではない、初めは自意識も何もないではないか。

実存主義的である。

 

赤ん坊だったのは昔のことなので、フィルムはところどころ切れてボロボロ。

その後の人生も喜劇、ドタバタ映像も流される。

 

キリストの受難、羊の生贄、神に捧げられた犠牲だが、神は何もしない。

ナチスによるユダヤ人収容、ベトナムでの焼身自殺。

 

両親は動かず寝ている、これも仮面的だ。

仮面の下を探すベルが鳴り、少年だけ起き上がり窓に薄く浮かんだアルマを見る。

しかし、エンドロールではその窓には何も映っていない、母は子供を仮面の下で捨てたのだろう。

 

誰しも仮面を被らなければ社会人として生きていけない。

でも強烈に自分を自由にしたい願望にかられるから、その時は危険信号。

抑えなければいけないが、過ぎると又危険。

 

人生難しいな~。

 

No.4

1974/108分 露  dvd1.24

 

アンドレイ・タルコフスキー 監督

マルガリータ・テレホワ、オレグ・ヤンコフスキー

 

「惑星ソラリス」「僕の村は戦場だった」「サクリファイス」

私が観たのは本作で4本目。だから熱狂的なファンとは言い難いが、好きなタイプではある。毎日会う気はしないが、時々会いたくなる人に似ている。

例え彼が嫌いな人でもその映像の美しさと、展開のひらめきに驚嘆しない人はいないだろう。

天才肌の芸術家。

本作中にダヴィンチ、ラファエロ などルネッサンスの巨匠を紹介している本が2~3度登場するが、子供の頃画家になろうと思っていたのだろうか。違う道を歩いて成功した、皮肉。

 

 謎解き:タルコフスキーは扁桃腺で床について、長い長い子供時代の夢を見ている設定と考える。だからこれは自伝である。作り物ではない、真剣な作品。

 

夢は時間観念が無い、だから自分が幼児だったり、年長だったり、年少だったり、時間が自由に飛ぶ。場所も自由に飛ぶ、ある時はモスクワ、ある時は田舎。祖母と母も同一人物。

時には重力もなく、体が浮き上がる。

カラーだったり、モノクロだったり。

 

 これらのパズルを組合わせると、作者が見えてくる仕掛け。

40歳の自分は母親と折り合いが悪い。母は自分を支配し、支配しようとしてきた。恨みを持っている。事実本作は母親が出ずっぱりで、少年はあまり登場しない。それほど母親の存在が大きかったという事だろう。

 

吃音障害を持ち、学校の成績も悪く、父は評価してくれなかった。

父は母を捨てて出ていったが、母にも欠点があったようだ。

父も祖母と仲が悪かった、母親も自分の母と何やらある。

二代続けての因果。

すべて暗い過去。

 

夢の形をとらないと自伝は撮れない。夢は普通美しいものだが、年をとるにしたがって悪夢しか見なくなるのも事実。

 

これら人間世界の醜さに比して、何と自然は美しいのだろう。

彼の頭に固定観念のように現れる息を飲むような林や草原の美しさと風。それに幼い時に過ごした林の中の一軒家、思いでと家は深く結びつく。

 

 

鳥、水、鏡、ガラス、風、ランプ、火、布、白いミルク、子供の寝顔、など身の回りの「物」彼はこれらがきっと好きなのだろう、見つめるとそれぞれが彼に語りかけてくる。

それ自体が意味ありげで美しい、実物以上に美しい。

詩も出てくるが、殆どこの映像だけで語りかけてくる。

 

シナリオも演技も重要では無い、演劇とか文学とは違う、又映像も芸術だと言っている。

 

スペイン内乱とか文化大革命のニュース映像が挿入されている。

意味不明だが、フランコも毛沢東も独裁、ソビエトもスターリンこそ居なくなったが暗に検閲を意識したのかもしれない?

 

dvdで二回観たが、燃えている薪の光にかざした手が透けて見えるカットが前半にもチョイだしされていたり、宝石も二度布石登場されていたり、かなり考えて作られている。

 

一見の価値あり。

No.3

  くちびるに歌を

      2014/132分 日 dvd1.16

 

三木 孝浩 監督   永田 永一 原作 松谷 卓 脚本

主題歌 アンジェラ・アキ「手紙 ~拝啓 15の君へ~」

 

新垣結衣、木村文乃、桐谷健太、恒松祐里、木村多江

 

2008年の中学校合唱コンクールの課題曲で,8月に「NHKみんなの歌」でも取り上げられたアンジェラ・アキの上記曲が大もと。同曲にまつわるドキュメントが年4回もTV放映され,これに着想を得た永田永一氏が小説を書き、曲同様にこれも大ヒットした。さらに映画化されこれも高い支持を得た。要するに、同曲を震源地として、波紋が大きく広がった奇跡的な音楽の力を示した好例。

 

この作品は新垣結衣さんが主演で好演はしているものの、過去を背負った影ある女性を演じるにはやや明るく、透明過ぎて浅い感が否めず、それが為作品全体を軽く感じさせたように見えたが?

この点を考えなければ、完全に☆4.5クラスの作品。

それは、それほど原作、脚本が優れていることによるからだろう。

 

長崎五島列島の小さな島の中学校合唱部の話。

臨時合唱部指導教師は、つらい過去から抜け出せず、現実に背を向けて生徒と馴染めない。

又、生徒も夫々家庭に重い荷物を抱え、苦しんでいる。

小さな島の中学校と家庭環境に恵まれない生徒達と教師の関係は、どこか「24の瞳」を思わせて話は進行する。

 

「ポー~ ポー~ と長が~く汽笛が2度鳴るときは出港の合図とよ、泣かんとよナズナ、前進 前進」

幼少の頃、母に死なれ、その後父親に2度も捨てられ、心にぽっかり穴の開いたナズナの耳に、亡き母の言葉がリフレインされる。

失意から再生を誓う先生が船で島を去る時も、長~い汽笛が2度鳴る。

「ド#」ね と呟く。

 

自閉症の兄を持つサトルは、15年後の自分に手紙を書く。15年後も兄の世話をしているだろう、何故なら兄に誰よりも感謝しているから、と。

もし兄が健常者だったら、2番目の自分は必要ないから生まれていなかっただろう。親は自分たちが死んだ後、面倒を見る人が必要だから自分を生んだに違いない。自分がこの世に居られるのは兄のお蔭だ。自分の生きる目的ははっきりしている、兄の為に生きるのだ。

 

これらの生徒の苦悩と、教師の苦悩が響き合い、piano イップスから立ち直る教師。

五島はキリシタンの島だ。教会や美しい入り江のロケが生かされ、特に夕日が美しい。

けなげな生徒達は15年後どうなったのだろう、中学生独特の青春の一瞬の輝きがまばゆい。

中五島中学校、実在する、全国大会で銅賞。 

苦難を乗り越える青春映画なのだが、それだけではなく何故か寂しさが募る作品だった。

 

日本映画久々の佳作。 

 

 

No.2

  アリスのままで

        2014/101分 米 dvd 1.13

 

リチャード・グラツアー

ワッシュ・ウエストモアランド  監督

 

ジュリアン・ムーア(アリス)、アレックス・ボールドウイン

(夫ジョン)、クリステン・スチュワート(次女リディア)

ト・ボアーズ(長女アナ)

 

グラツアー監督は自身ASLを患い、オスカーの表彰式後亡くなった。

ジュリアン・ムーアは万年候補からついに本作で主演女優賞に輝いたのは、せめてものはなむけだった。

 

同じ若年性アルツハイマー症をテーマとした 渡辺謙の「明日の記憶」より感動した。

製作時代が違うから、医学的検証がこちらの方が上で作り話ではないという説得力、更にまだSTILL ALICEだから、病気が進行しても家族愛まで壊れていない段階で映画が終わっているから希望を感じさせるからだろう。

 

でもでもだ、認知症が末期になっても、アリスの本質は変わらない、だから家族も愛で最後まで乗り切れるという見通しは、現実には疑問が残る。

家族に負担を強要した昔の日本のような話に見えなくもないが、考えすぎか。

 

親と確執のあった子供に限って、親が倒れた時、面倒をみるというケースは日本でもかなりある。子供にとっては親に愛される機会だし、親にとっては許すチャンスでもあるからだ。

介護問題に国の垣根は無い。

何処も悩みが深い。

 

参考:遺伝性の若年性アルツハイマーは遺伝子検査で分かり、陽性がでれば100%発症するとのこと。恐ろしいが分かっておれば何かの準備は出来るかも。

 

No.1

  審判 

    1963/119分 仏、伊、西独    dvd1.9

 

オーソン・ウェルズ 監督  フランツ・カフカ 原作

アンソニー・パーキンス、ジャンヌ・モロウ、ロミー・シュナイダー、オーソン・ウエルズ、

エルザ・マルティネリ

 

カフカは難解。映画化しても同様。

難解だけど、何時までも記憶から消えないのもこれまた不思議。

このことは多くが経験しているのではないか。

 

記憶に定着するのは難解なものが多い。アラン・レネの「去年マリエンバードで」、ベルイマンの「沈黙」他、最近ではハネケ監督の「白いリボン」など。

 

そう言えばハネケは「カフカの城」でカフカを撮った。(荻虫の100映画2014年yahoo版参照) 今から考えれば、明らかに本作をイメージ的に追っている。

 

映像的に見て本作が凄いのは、観客の想像を超えたシーンが次々と続くことである。

現実とか常識とかに囚われていると、ついていけない。

社会人でなく、自由な一個人として見ると、自分でも知らない己の内面というか夢に出てくる意識下の自分に会っているようでもある。

そしてどんどん孤独になっていき、寂しくなる、生きるのが辛くなってくる気さえする。

 

まず、因果関係を否定している。主人公Kは逮捕されるが、その理由は全く無い。

人はこの世に存在するが、目的があって生まれた訳ではないから、存在が何よりも先行している。

kは罪を犯してないのに「罪人」である、理屈ではなく「まずkは罪人である」ことから出発する。よく言われる言葉でいえば「不条理」。

 

考えてみれば、「ユダヤ人である、黒人である、生まれつき障害者である、頭が悪い、背が低い、・・・」これらのことは自分が選んだのではない。そこから人生が始まっている。

世の中不条理だらけである、そもそも人の存在が不条理だから。

 

人は社会的な規制の中で生きなければいけない。そこでは個性が埋没する。

個人を社会のルールに押し込めようとする力が強くなれば、そのルールそのものが生き物化し、個人を追い詰めていく。

 

「審判」は裁判制度(社会制度)を利用し、それで食べて行く人の制度で、真実などどうでも良い、個人の尊厳なんて無視。

社会制度は一種のバーチャル空間と見えなくもない。

 

登場する民衆でさえ、無表情、機械的で、正義感とか博愛とかは無縁。

人生に意味を求めず、何の目的も無く、だらだら息をしている無価値な生き物。

自分て何なんだろう。問いかける気力もないひどい倦怠の中で、時間がただ過ぎゆく。

 

 

「謎かけ門」の意味は? 心正しい人だけが法の門を叩くが、それはkだけで他は誰も叩かない、無駄だと知っているからか。

法の門は、kを中に入らせない為に存在したようで、結局は開かなかった。開くように門番に賄賂を贈り続けたが、徒労だった。人生は徒労だと言わんばかりの、悲劇。

 

原作は未完だが、結末は自殺しかなかろう。生きる意味が最初から無いとすると、ただ一つの解決法だから。 

 

「アルビノーノのアダージョ」に一気に陽が当たった。

素晴らしい曲だが、内容とは無縁。

これも不条理か?